二人の縁は、20年前にさかのぼる。ミュージーが東亜(トンア)放送大学に通う友人の音楽を制作したのがきっかけとなった。あの友人から「うちの学校に『正気でない』やつらがいる」と言われた。ミュージーは兪世潤(ユ・セユン)など、あの腹を抱えるように笑わせるやつらの飲み会に参加した後、親友になった。兪世潤は当時、弱冠の年に無名のミュージーが渡した自作曲のデモCDが大好きで、車の中でずっと聞いていた。
それから約10年後、2009年に結婚後、趣味がおらずさまよっていた兪世潤が、ソウル東大門区長安洞(トンデムング・チャンアンドン)のミュージーの自宅のドアを叩いた。音楽でも一度学んでみようという気持ちからだった。ミュージーは、歌の制作過程から教えることにした。
「このようにドラムとベースを打ち、コードの進行をかぶせてMR(伴奏)が完成したら、この上にメロディーを作り、作詞をすれば曲が完成されるんだよ」
じっと聞いていた兪世潤が短く答えた。
「では、この上に、私がラップをやってみてもいいか」
意外な答えだった。とりあえず録音ボタンを押した。
「合意の下別れておいて電話してごめんなさい/合意の下別れておいてメールしてごめん…」
ミュージーはあの時、あのラップを吐き出していた兪世潤の表情をまだ忘れていないという。思いもよらなく作られた音源を、兪世潤はそっと自分のミニホームページの掲示板に掲載した。これが大当たりとなった。
「君の一村コメントが波に乗って/君をみることはできるが、みすぼらしい僕」のような歌詞は、当代のミニホームページのユーザーたちの感性を直感的に強打した。発表から二日で1000件余りの関連記事があふれた。
作名も瞬時になされた。ミュージーから「兄貴、UVはどうですか?」と言われると、兪世潤は背景も問わずに大笑いした。
「名前からピンときました。何かしようとしたが失敗した感じ」(兪世潤)
10年間出した大抵の曲は、すべて2週間以内に作詞、作曲、編曲、録音、ミュージックビデオの撮影と編集、発表まで終わった。
「あの時のあの最初の作業がそのまま私たちの作業方法として固まってしまった」(兪世潤)
UV合流前、10年間隠れた音楽達人として暗躍していたミュージーは、初めて大衆からスポットライトを受けた。それも極めて強く。
「兪世潤は韓国でコメディが一番上手な人ではないか。一緒に活動しながら、隣で(韓国芸能界を)見ている感じだった」(ミュージー)
これまでに発表した数十曲はすべて、兪世潤とミュージーの共同作詞作曲となっている。「私のハミングさえ快く作曲としてやってもらったよ」(兪世潤)
「兄貴がいるから、その瞬間のシナジーで曲を完成する。兄貴無しでは自信がない」(ミュージ)
大衆は、UVの音楽特性を「無駄のない高クオリティ」にいう。兪世潤は「コメディとおしゃれを別に思う人もいるが、私たちは一緒に行く」と言った。
今後20年、30年…。UVのロールモデルは誰だろうか。ミュージーは、「(豪州のロックバンド)AC/DCのように、おじいさんになっても良いオーラを放つ人だ」と、兪世潤は「(映画『フライング・コップ 知能指数0分署』の俳優)レスリー・ニールセンのように年老いたい」と話した。
ところで、UVは本当に何を意味するだろうか。
「妻帯者?ユアビクトリー?私たちも今はよく分からない。おそらく紫外線…。大衆が避けたくても避けられない存在。それはおそらく私たちだろう。」(兪世潤、ミュージー)
イム・ヒユン記者 imi@donga.com