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チキンスープの温もり

Posted March. 09, 2020 08:14,   

Updated March. 09, 2020 08:14

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「西洋版コムタン(牛肉煮込みスープ)であるチキンスープを飲みながら、私が誰かにコムタンを作ってあげることができるということが、誰かが作ったコムタンを飲むことができるということが有難かった」(イ・ミヨン『カウンター日記』)

今年2月に取材のためベトナムにいた私は、彼らにとって喜ばしくない隣人だった。出国時、中国の武漢で新型コロナウイルスの感染者が急増していた。宿の主は、「中国に行ってきたのか確認しなければならない」と言ってパスポートの最初から最後まで写真を撮って行った。2月半ばを過ぎて韓国内のウイルスが大邱(テグ)を中心に急増した。その後、韓国人という一言で、人々の多くがそれとなくマスクを上げた。

韓国から来たというだけで、そのような扱いを受けるのは愉快ではなかった。短期間滞在の旅行者なので幸いだった。しかし、そこで暮らす韓国人の暮らしはどうだろうか。

外国での彼らの暮らしを考えながら、ニューヨークの厳しい冬にチキンスープを差し入れした隣人の話を読んだ。上の文の主は、ニューヨークでバリスタとして働いている。ある冬の日、厳しい寒波と強風でカフェのガラスの扉が割れ、冷たい風が吹き込んだ。ドアを段ボールで塞ぎ、寒さに震えながら働いた。その姿を見た常連客がチキンスープを作って来てくれた。とても温かくておいしかったという。彼には試練の中でもコムタンの温もりを分け合える隣人がいたのだ。

裏山を散歩した。人影が少ない森の中で、マスクを取って初めて息をすることを学んだようにゆっくり深く息を吸い込んだ。さわやかな空気が胸の深くまで染み込んだ。足元には冬を勝ち抜いた新芽が息吹いていた。春の知らせだ。私たちの心は再び冬が来たように凍りついているが、チキンスープを分け合う思いやりが同胞たちの周囲にあることを願う。