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ロボットの愛

Posted January. 15, 2020 08:05,   

Updated January. 15, 2020 08:05

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「美しい」。子供をベビーカーに載せていたおばあちゃんは、その声に振り向く。ジーンズにスニーカーを履いた青年である。「美しい。本当に」。子供を見てそう言ってるはず。私のような老人にそんなはずはないだろう。青年がその心を読んで言う。「いいえ。あの、あなたが美しいんです」。

ユン・イヒョン作家の見事な短編「ダニー」に出てくるシーンで、ここで「美しい」人は、共働きの娘夫婦のために孫を世話しているおばあちゃんだ。イルカのように大声を上げる18か月の孫の奴隷だ。そして青年は、遊び場付近にある他の家の子供の世話をする人工知能ロボット・ダニーだ。

ロボットと違って、おばあちゃんには名前がない。子を世話した末に老いてしまい、老いてからは孫の世話をする疲れた私たちの祖母のように名前がない。ダニーは、そのような人生に「耐える」おばあちゃんが美しく見える。実は「美しい」という言葉は、女主人がいたずらにダニーを操って出てきた言葉だ。しかし、他の言葉は、彼が自ら言った言葉だ。彼は、おばあちゃんのために荷物も持ってあげたり、好きな羊羹も買ってあげたり、誕生日もお祝いしてあげたり、話も聞いてあげる。おばあちゃんは、ありがたくて胸がジーンとしながらも、同時に負担を感じて気が重い。今までこのようなおもてなしを受けたことがないからだ。ダニーに連絡しないようにしたのはそのためだ。もちろん反語的な表現である。

ところが、ダニーは本当に連絡することも、電話に出ることもない。そうするうちに警察につかまえられる。一人の子供の世話をするおばあちゃん年配の他のおばあちゃんを相手に、100万ウォンから1000万ウォンまでを要求したためにつかまえられたのだ。考えてみれば、おばあちゃんが間違っている。彼がかつて一緒に暮らしたいと言ったとき、おばあちゃんはお金が必要だと話した。ところが、おばあちゃんは事実通りに証言すれば彼を生かすことができるが、憎くて恐ろしくて不便で面倒くさくて、沈黙を選ぶ。彼女には自分の感情が先だ。ところが、ダニーは何も言わずに、解体されて死ぬほうを選ぶ。彼には「美しい」おばあちゃんのほうが先だ。お互いを思うやり方が、これほど異なっている。私たちの愛は、どちらのどの辺だろうか。

文学評論家・全北(チョンブク)大学教授