
「助けてください」とは。しかし次の行を読んでみると納得できる。お兄さんが思春期だとか。兄弟間のやりとりが目に浮かぶ。表紙の絵には、大きなブリキの鍋をかぶる兄の堂々とした姿。何の干渉も受けないという決然とした意志が見える。思春期の子どもを育てた人は分かる。あのブリキの鍋の中の子どもが手に負えないということを。
この本は、弟の目に映った思春期の観察記だ。弟の耳に聞こえる兄の声はこうだ。「クルルン…お前、クルルン…俺が追い出したのに、クルルン…クルルン、持って来い…」。一時は弟のロールモデルだったが、「今の兄さんは、話す時より吠える時が(!)多くて、ジーンズをお尻の下にずらしてはき、髪も気が向いたら洗う」怪物のような兄になった。
兄をこらしめる方法を探そうと兄のコンピュータを調べ、フェイスブックも見る。そうして発見した意外な兄の姿、なぜ兄はこのような姿を家族に見せなかったのか。弟の努力もあり、時間が経ったこともあって、兄の思春期は終わろうとしている。「兄さんはやっと自分の世界に閉じこもることを止め、私たちも兄さんを重い荷物のように見ることを止めた」。このように。
いま弟は平和だろうか。「まさに今晩、姉さんが僕の目の前でドアをバタンと閉めてしまった」。今は姉がブリキの鍋をかぶっているようだ。もう少し頑張らないと。
最後の文章が意味深い。「誰にでも順番が訪れる」。ブリキの鍋は穴もあかない。クックックッ!
キム・ヘウォン子ども図書評論家






