音楽史で19世紀末から20世紀初期は「異国主義時代」と呼ばれる。プッチーニは、日本を舞台にオペラ「蝶々夫人」を、中国を舞台に「トゥーランドット」を書き、マーラーは、ワン・ホヨンなどの漢詩の翻訳本をテキストにして交響曲「大地の歌」を作曲した。欧州の人々がこの時代に韓国に早く注目していたなら、韓国を舞台にした有名なオペラやバレエが出たのではないだろうか。百年前、欧州で公演された韓国を素材にしたバレエ作品が発見され、話題を集めたことがあったが、今日、レパートリーになっている作品がないのは残念だ。
数年前、米国の音楽学者、メリー・ジェーン・フィリップスメッツが書いた評伝「プッチーニ」を読んで驚いた。蝶々夫人の話をし、マスカーニーが日本を舞台に書いたオペラ「イリス」を比較し、突然「イリスのあらすじは、韓国の沈清(シムチョン)と似ている」と言い出したのだ。一見、特に語る必要もない箇所で、3分の1ページも割いて「沈清」のあらすじを紹介した。この著者はそうは書かなかったが、内心では「沈清も、オペラのあらすじとして、感動的で興味深い内容だが、(西欧人が)オペラ化せず残念だ」と言いた気だった。
「沈清」と比較されたマスカーニの「イリス」はどんなオペラだろうか。フィリップスメッツが言うように「沈清」との共通点が多い。盲目の老人の娘が、拉致された後、身を投げて死ぬが、花に囲まれて復活するという内容だ。主人公イリスの復活場面で合唱団が歌う「太陽の賛歌」は、沈清が蓮の花になって咲く場面に使ってもすばらしかったと想像する。実際、マスカーニが「沈清」の話を知っていたなら、躊躇なくオペラにしたかも知れない。
ユニバーサルバレエ団が27日と28日、ソウル世宗(セジョン)文化会館大講堂で、バレエ団のレパートリーである「沈清」を公演する。この作品の音楽を外国の大作曲家が作ったわけではない。しかし、私はこの作品を公演するという話を聞くたびに、マスカーニやプッチーニの音楽が思い浮かぶ。すでに、ニューヨークやワシントン、ロサンゼルスなどで好評のバレエ「沈清」が、これからも海外に広がって、世界の人々を魅了する作品に成長することを期待する。






