中国の習近平国家主席の彭麗媛夫人が昨年6月に初めての海外訪問でアフリカのトリニダード・トバゴを訪問した時のことだ。国家芸術センターで地元の団員が彼女の歌「希望の野原に立って(在希望的田野上)」を演奏すると、近付いて太鼓のばちを持って演奏に加わった。この歌は、彭夫人が済南軍区の前衛歌舞団の団員として活動した1982年に官営中国中央テレビの「春節忘年会」に出演して歌った曲だ。彭夫人はこの放送の後、一躍全国的なスターになった。
彭夫人の開放的で気さくな振る舞いは、その後の海外訪問でも見られた。彭夫人は、頳小平以降、中国の「ファーストレディ」は対外活動しないという慣例を破った。
ファッションセンスまで備えた彭夫人の活発な「ファーストレディ外交」に世界のメディアが注目している。彭夫人のかばんや着ている服はすぐにネットのショッピングモールで品切れになるほどだ。習主席がロシアやアフリカ、中南米、欧州などどこを訪問しても、夫に劣らないスポットライトを浴びる。中国のファーストレディが人民解放軍所属の現役少将(韓国の准将)という点も異彩を放つ。
今回の習主席の訪韓に同行する彭夫人は、韓国の伝統文化を体験するなど「人文外交」をするだろうと、外交消息筋は話した。
彭夫人のような積極的な行動は、約30年間、中国の最高指導者の夫人には見られなかった。しかし、中国の「ファーストレディ」がすべて隠遁型だったわけではない。劉少奇主席の5番目の王光米夫人は、父親が中華民国政府で高官を務め、英語、ロシア語、フランス語などを自由自在に駆使し、夫に付いて活発な外交活動を行った。しかし、文化大革命で劉主席が失脚し、毛沢東の妻の江青の憎まれ、11年間収監された。
しかし江青も、毛元主席の死去後に頳小平が権力の座に就くと、4人衆の1人として逮捕され、裁判で死刑宣告を受けた。その後、無期懲役に減刑されたが自ら命を絶った。頳小平の後、中国の「ファーストレディ」が公に活動しなかったのは、江青の影響が少なくない。
しかし、中国の経済力が世界第2位のレベルになり、中国社会も過去とは比べられないほど開放的なムードになった。彭夫人の活発な対外活動は、個人的な特徴と共に時代的な変化も反映されている。
1962年に山東省鄆城県で1男2女の長女として生まれた彭夫人は実家が地主だった。父親の彭龍坤は高卒だが当時は高い教育水準で、夜間学校の校長を務めた。母親は歌舞団の演技者だった。母親は牛車に乗って村々を渡って演技をし、彭夫人も母親についてまわった。芸術家の才能は母親から受け継いだ。彭夫人も人民解放軍の歌舞団に所属し、軍部隊に行って公演した。
文化大革命の時は、実家が地主で、父親は「墨汁」知識人という理由で圧力を受けた。父親はしばらくトイレの清掃をし、母親は「流浪歌舞団」の舞台から降りなければならなかった。
軍の歌舞団で活動した彭夫人は、習主席と出会う前の20代初めにはすでに国民的スターだった。中国を代表して北欧6ヵ国の歴訪公演をした。
習主席が2012年に中国の最高指導者になって以降、今でも彭夫人の人気と注目度は夫に劣らない。彭夫人の開放的で積極的な活動、優雅で洗練されたファッションセンスは、中国のイメージまで変えている。
彭夫人は夫について、「彼の友人には外国に行ってお金持ちになって成功した人もいる。彼も外国に行く機会があったが、国民の公僕になる険しい道を選んだ。私は彼を愛し、尊敬する」と話した(高曉「大陸のリーダー習近平」から)。彭夫人が習主席の反腐敗改革や外交で内助の功を発揮するという見られている理由だ。






