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[オピニオン]中国大使館と周囲が不自然

[オピニオン]中国大使館と周囲が不自然

Posted January. 25, 2014 03:14,   

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清王朝は外交というものを知らなかった。辺境の蛮夷の贈り物を受け取り、下賜品を与える形式の朝貢がすべてだと考えた。アヘン戦争で英国に攻撃されて国際舞台に引き出され、近代的な外交関係を結ぶことになった。西欧列強と一つずつ条約を結び、1882年には朝鮮とも「朝清商民水陸貿易章程」を締結した。この条約によって、領事格の陣樹棠が初めて派遣された。彼が滞在するための公館を建てたのが、現在ソウル明洞(ミョンドン)の中国大使館がある場所だ。

◆清末に実権を握った袁世凱は、朝鮮で政治的地位を築いた。若かった袁世凱は、1884年の甲申政変で清の軍隊を率いた。金玉均(キム・オクキュク)が日本をかついで起こした政変を鎮圧し、陣樹棠の後任として赴任した。朝鮮を思うままにした彼をソウルにいた当時の西洋外交官たちは総督と呼んだ。袁世凱は陣樹棠が建てた公館を壊し、建物を新しくして10年間滞在した。そこを守る清の兵士の横暴がひどく、前の道には昼間も人があまり通らなかった。

◆中国大使館が建て直され、23日に開館式が行われた。それ自体は祝うべきことだ。大使館は業務棟と宿舎棟の2棟でできているが、業務棟は10階、宿舎棟は24階だ。周囲に低い商店街が密集していて、この高層の建物は非常に威圧的に見える。外国の公館なので都市計画上の建築規制を受けなかった。また、現代式の高層建物だが中国の伝統的な瓦屋根で、見方によっては不自然な感じを与える。

◆フランス・パリの中国大使館は、昔の伝統石造の建物に入居している。英ロンドンの中国大使館は、英国特有のレンガづくりの外観を保っている。ドイツ・ベルリンの中国大使館は、ボンからベルリンに首都が移った際に新築されたが、ベルリンの典型的な建物だ。東京の中国大使館も平凡な日本の官公庁の様式だ。米ワシントンの中国大使館はコンクリート様式なので、洗練された感じを与える。韓国の中国大使館は高さと外観が威圧的で、旧韓末の袁世凱の姿がちらつく。

宋平仁(ソン・ピョンイン)論説委員 pisong@donga.com