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頳小平の猿と習近平の虎

Posted September. 16, 2013 07:52,   

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中国の大々的な治安強化運動「厳打」は苛酷だった。「強く打て」と訳される厳打は1983年8月に登場した。翌年の夏までに中国全域で1万人以上が処刑され、多くの人々が労働改造所に送られた。

頳小平が改革開放の門戸を開いて5年。発展は目覚しかったが副作用も大きかった。緩んだ社会ムードの中、様々な事件事故が相次いだ。爆弾テロ、旅客機ハイジャック、連続殺人など、中国全土を震撼させた事件は一つや二つではなかった。このようなムードの中、頳小平が始めた厳打は問題も多かったが、このおかげで中国社会は正常化し、経済は飛躍的な発展を続けた。

30年後の今年初め、習近平国家主席は「蝿から虎まで捕まえる」と公言した。「腐敗撲滅に党と国家の存亡がかかっている」という危機意識から出てきた。虎は腐敗の本体、蝿は雑魚をいう。その後、司法が大鉈を振るった。国営メディアは、習主席政権以来、次官級(副部長級)以上の9人の「虎」を処罰するなど、過去最高レベルの腐敗撲滅が進んでいると伝えた。

しかし、世論の反応はそれほど熱くない。本体を放っておいて雑魚だけ捕まえるという世間の長年の不満は変わっていない。特に先月、太子党(革命元老と高級公職者の子弟)の薄熙来前重慶市書記に対する裁判は、再び冷笑を呼んだ。妻の殺人と忠臣の裏切り、中南海の権力暗闘、巨大な腐敗の鎖など、1年近く行なわれた興味深い大河ドラマが法廷で痴情ストーリーに変わった。「それもそうだ。太子党には手をつけられない」という声が出ている。

頳小平の厳打は聖域がなかった。同年10月、人民解放軍の父と呼ばれた朱徳の孫、朱国華が天津で処刑された。毛沢東、周恩来と肩を並べる共和国10大元帥の第一に選ばれる名将の血も厳打から逃れられなかった。性的暴行と窃盗を日常的に行なったという理由だ。頳小平の決定がなければ不可能だったため、「見せしめ(殺鶏給後子看)」と見られた。後に頳小平も使った表現だ。

習主席も聖域のない腐敗撲滅を叫んだ。そのため、国営企業の代表格である「中国石油」に対する最近の大々的な捜査は注目される。中国石油は、石油閥(石油と関連する政府と産業界の人脈)のゆりかごであり、何よりも周永康・前政法委員会書記の畑だ。石油閥は中国2大権力派閥の1つである上海閥(上海出身官僚グループ)の金脈とされている。

ロイター通信が今年3月に公開した中国の政治人脈のデータベース「コネクティッド・チャイナ」によると、周前書記の核心的人脈は8人だ。このうち5人が逮捕され、1人は逮捕説が流れている。周前書記の秘書を務め、副部長級以上の高級職と薄前重慶市書記だ。

残る2人が、まさに江沢民前国家主席と曽慶紅前常務委員だ。江前主席の強大な影響力については語る必要もない。曽前常務委員は、今日の習主席を生んだ大物だ。そのうえ、周前書記はこの5年間、公安、武装警察、検察、裁判所を総括し、常務委員として習主席と共に中国最高の意志決定を行なってきた。政治的動乱を除いて、前職・現職の常務委員が処罰された前例はない。周前書記捜査説の真偽をめぐって交錯するシグナルが続く理由だ。習主席の腐敗撲滅が試験台に載せられた。