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19世紀の美人モデルは、才色兼備のアルファーガール

19世紀の美人モデルは、才色兼備のアルファーガール

Posted September. 11, 2013 06:28,   

18世紀後半は、世俗的かつ肉感的な女性を描いた美人図が流行した。申潤福(シン・ユンボク)の絵画がその代表だ。19世紀に入り、非現実的かつ理想的な女性像を描いた美人図が人気を集めた。この美人の基準が、従来の容姿中心から才知を兼備した女性へと変わったためだという分析が出ている。

成均館(ソンギュングァン)大学・東アジア学術院のコ・ヨンヒ講師(韓国美術史、漢文学博士)は最近の研究会で「文献と解釈」と題した週例発表会で、「李在寛(イ・ジェグァン)が描いた美人ら:19世紀の美人の条件」と題した論文を発表した。コ博士は、19世紀に活躍した李在寛の美人図4点と、各作品に書かれている題詩を分析し、作品の中の女性らの正体を明らかにした。コ博士によると、李在寛の美人図に登場する女性らは、中国の歴史や小説の中の人物であり、皆容姿だけでなく、さまざまな才気を備えているという共通点がある。絵画「美人史書」の女性は、女流詩人であり、詩を書く紙をうまく作った唐の美人・薛濤と分析された。薛濤は、詩人・元稹を慕って、心をささげたことで有名だ。また、「仙人」に登場する馬を走らせている女性は、将軍・李銍に従うため、命がけで脱出を試みた唐の芸者・紅拂だ。「仙人醉生」で、笙を吹く女性は、秦の穆公の娘・ヌンオクであり、夫と一緒に楽器を演奏し、神仙界に上がったという伝説が伝えられている。「女侠」で剣舞をする女性は、武侠小説「紅線傳」の主人公だ。

コ博士はまた、19世紀の文献に女史という呼称が多く登場していることに注目した。女史とは元来、中国古代から朝鮮時代にかけて、宮中の女性のことを記録する女性の史家を意味したが、この時代に来て、「学徳が高く、才気の優れた女性」へと変わった。これは学徳を隠して暮らすことを美徳とみなした朝鮮時代の士大夫の女性を尊重して呼んだ女士と差別を図って、女性の才気を称えた呼び名だった。コ博士は、「このような女性観の変化が、近代以降、韓国では専門的な女性芸術家らが活動するのに、文化史的な基盤となった」と話した。