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ドレフュス事件ファイル、1世紀ぶりネット公開

ドレフュス事件ファイル、1世紀ぶりネット公開

Posted March. 09, 2013 04:24,   

国家が、支配集団の利益のために事実を隠蔽しようとしても、最後には真実が勝つという教訓を残したフランスの「ドレフュス事件」。この事件を扱った秘密軍事ファイルが、1世紀が経って初めてインターネットに公開された。

8日、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンによると、フランスの国防史編纂部(SHD)がスキャン作業を終えてインターネットに無料公開したファイルには、当時の事件の調査記録や証人の陳述書、書簡、主要人物の報告、外国大使館で盗難に遭った書類など、文書470件と書類84件が含まれた。

フランス第三共和政に大きな影を落とした同事件をめぐる軍事ファイルは、ドレフュスの無罪が確定した1906年に記録保管所に保管され、全体が一度に公開されることはなかった。ドレフュスや彼の弁護人にもすべての記録は提供されなかった。

ドレフュス事件は、1894年9月、フランス情報部がパリのドイツ大使館の郵便受けから盗んだ1通の手紙から始まった。手紙の受取人はドイツ大使館の武官、マクシミリアン・フォン・シュヴァルツコッフェン。差出人は匿名だった。中身はフランス陸軍の機密資料のリスト。情報部は、筆跡が参謀本部に勤めていたユダヤ人のアルフレッド・ドレフュス大尉のものと似ているとして、スパイの容疑で逮捕した。ドレフュスは反逆罪で裁判にかけられ、同年12月に軍事会議の秘密裁判で終身刑を言い渡された。当時、新聞も捏造された証拠と推測の記事で謀略に加担した。特に、参謀本部のドレフュスの上官らは、文書を捏造して証拠として提出したりもした。

ドレフュスは反論の機会すら与えられず、1895年2月、南米の仏領ギアナの小島で監禁された。

しかし、裁判が終わって15ヵ月が経過した1896年3月、情報部のジョルズ・ピカール中佐がドレフュスの有罪を立証するだけの確定的な証拠がないことや、問題の筆跡が歩兵大隊長エステルアジ少佐の筆跡と同じである事実を突き止めた。彼は、エステルアジを逮捕し、ドレフュス事件の再審を求めた。しかし、軍首脳部は体裁を守り、事件を捏造したことを隠すためにエステルアジを釈放し、ドレフュスを監禁し続けた。

この問題は、米国や欧州の知識人が問題を提起し、国際的な関心事となった。1898年1月、後年、第1次世界大戦時に首相を務めたジャーナリストのジョルジュ・クレマンソーが主幹した日刊紙「オーロール(Aurore)」の1面に、大文豪エミール・ゾラが大統領あての公開告発文「われ弾劾す(J`accuse!)」を掲載したことで世論が一変した。ゾラは告発文で、「軍部が捏造した証拠で誤って裁いた事実を隠している」と主張した。その後、捏造書類の提出者が自殺し、軍部の嘘が明らかになり、12年後の1906年、ドレフュスの無罪が確定した。



taylor55@donga.com