朴正煕(パク・チョンヒ)記念館が昨日、ソウル市麻浦区上岩洞(マポグ・サンアムドン)で立案から13年ぶりにオープンした。延べ面積5290平方メートルの3階建ての記念館には、経済開発5ヵ年計画や京釜(キョンブ)高速道路建設、セマウル運動、重化学工業の中興など、今の大韓民国の建設の基盤となった歴史的遺産が網羅されている。朴正煕氏個人ではなく、大韓民国の産業化や近代化を象徴する記念館と言っても言い過ぎでない。朴元大統領と政治的な宿敵関係にあった金大中(キム・デジュン)元大統領の提案で建設が実現したことの意味も軽くない。
◆セヌリ党の朴槿恵(パク・グンヘ)非常対策委員長にとって同記念館は、プラスの遺産である。記念館は、父親が残した光と影のうち、どうしても影よりは光の部分が強調されるだろう。一方で、朴委員長の父親である朴正煕氏の名前から「正」の字と、母親である陸英修(ユク・ヨンス)氏から「修」の字を取って名づけた「正修奨学会」はマイナスの遺産である。釜山(プサン)地域の企業家で政治家だった故金智泰(キム・ジテ)氏が作った釜日(プイル)奨学会を母体に、最初は5・16奨学会だったが、1982年に今の名前に変わった。釜山日報の持分を100%、文化放送(MBC)の持分は30%を保有している。
◆正修奨学会が最近、再び世論の注目を浴びている。昨年11月、「正修奨学会の社会還元や社長選出権」を求めて釜山日報の労働組合と経営側が対立したことが直接的な契機となった。大型の選挙がある度に朴委員長を攻撃する格好の材料となっている。1961年に5・16軍事クーデターが起きたとき、不正蓄財などで身柄を拘束された金智泰氏が釜日奨学会を手放したことに関連して、「自主的な献上」なのか、国による「強奪」だったのかを巡る論争が問題の核心だ。正修奨学会が、1995年から2005年までの10年間理事長を務めた朴委員長の影響下にあるのかも焦点になっている。
◆朴委員長は、「理事長職を辞めた後、私と奨学会は関連がない」と言っている。だが、野党は「盗品」云々しながら、朴委員長に奨学会の社会還元を迫っている。法的には朴委員長の話は間違っていないかもしれない。しかし朴委員長が大統領の長女だった1978年に大統領秘書官だった崔弼立(チェ・ピリップ)理事長をはじめ、5人の理事の顔ぶれを見ると、朴委員長が依然として影響力を行使していると映る余地は多分にある。プラスの遺産を継承することも重要だが、マイナスの遺産を克服することも相続者の能力である。朴委員長が積極的な姿勢で、きっぱりと問題を解決できずにいることに苛立ちを感じる。
李進寧(イ・ジンニョン)論説委員 jinnyong@donga.com






