北朝鮮全域が28日、巨大な葬儀場と化した。多くの住民と軍人が、雪が舞い、冷たい風が吹きつける街頭で、金正日(キム・ジョンイル)総書記の最後を見送った。17年前、金日成(キム・イルソン)主席の告別式の場面を再放映したようだった。
金日成、金正日親子は2代にわたって66年間統治し、北朝鮮を世界に対し物乞いをする国家にした。告別式に動員された北朝鮮住民はテレビカメラの前で号泣したが、2400万の北朝鮮住民の中で心から金総書記の死を悲しんだ人がどれだけいるだろうか。権力の食卓の近くでパンのかけらを分け合う執権層や軍部、平壌(ピョンヤン)の特権層の住民と違い、ボロを着て飢える地方の住民は、人民に衣食住も与えられない独裁者が死んだからといって、それほど悲しまないだろう。
金総書記の遺体は、錦繍山(クムスサン)記念宮殿の父親の隣に安置された。錦繍山宮殿は、多くの北朝鮮住民の飢えによって建てられた。金主席が77年、10億ドルを投じて建設した官邸が、金主席の死後地球上で最も大きく派手な墓になった。官邸を墓に変える工事に2億ドルが投入された。北朝鮮住民の願望は、脱北詩人のチャン・ジンソンが「宮殿」で描写したそのものだ。「あの宮殿は/生きている人のためのものではない/数兆ウォンを得ようと億万ウォンを投じたのでもない/死んだ人を埋めるために/三百万が飢えて死ぬ中/華やかに立ち/高く聳え立ち/誰もが/沈痛に見つめる/三百万の墓だ」
金正恩氏は、金総書記の死去から11日後に無事に告別式を行い、外形上は順調に権力を継承しているようにみえる。叔母の夫の張成沢(チャン・ソンテク)氏が側近となって混乱を招かず、父親の遺訓をそつなく行う可能性がある。来年4月15日の金主席の100回目の誕生日に、実体もない「強盛大国進入」を宣言するだろうが、金正恩氏の顔に中国清朝の最後の皇帝、溥儀の姿がだぶる。労働新聞は28日、金総書記が残した最高革命の遺産として核保有を挙げた。金正恩氏が遺訓統治をするために父親のやり方に固執すれば、北朝鮮体制の終末は意外に早く起こるかもしれない。
フセイン政権が没落すると、イラク国民は街頭に飛び出し、彼の銅像をなぎ倒し、頭部を引きずり回した。中国を改革開放に導いたが、天安門事件の時に流血鎮圧を命令した頳小平が、遺体を火葬して海に撒くようにしたのは意味深長だ。北朝鮮に自由と民主主義が訪れる日、金親子の宮殿の墓に怒った群衆が押し寄せるだろう。






