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「永遠の3割バッター」張孝祚、病魔に倒れる

「永遠の3割バッター」張孝祚、病魔に倒れる

Posted September. 08, 2011 08:30,   

時速150キロのボールをバットで軽く打ち返した彼だったが、自身も知らないうちに冒された病魔には打ち勝つことができなかった。相手を圧倒した獅子の目は永眠によって静かに閉じられた。

「永遠の3割バッター」張孝祚(チャン・ヒョジョ)三星(サムスン)2軍監督(写真)が7日、この世を去った。享年55歳。大邱(テグ)商業高校(現サンウォン高)と漢陽(ハンヤン)大学を経て、実業のロッテで活躍した故人は、1982年、ソウルで行われた世界野球選手権大会で中心打者として活躍し韓国の初優勝をけん引した後、翌年、プロ野球三星のユニホームを着た。デビューするや否や、打率3割6分9厘で打撃王に輝き、1985年(3割7分3厘)、1986年(3割2分9厘)、1987年(3割8分7厘)など、4回も打撃が1位になり、「打撃の天才」「打撃の達人」と呼ばれた。故人が残した通算打率3割3分1厘は、韓国プロ野球史上不滅の記録である。昨年、三星で引退した梁逷赫(ヤン・ジュンヒョク)の歴代2位の記録は3割1分6厘だ。

1988年シーズン後、ロッテにトレードされた故人は、1992年を最後に選手生活にピリオドを打った後、打撃コーチとしてロッテと三星で後輩を育てた。以後、三星でスカウトとして活躍し、09年三星2軍監督として現場に復帰した。

故人は7月、オールスターゲームの休息期に、突然体重が減ったため検診を受け、胃がんと肺がん末期という診断を受けた。7月23日、オールスターゲームが行われた蚕室(チャムシル)球場でプロ野球30年レジェンドオールスターベスト10として登場し、ファンの喝采を受けたのが公開席上最後の姿だった。三星の関係者は、「その後、自宅のある釜山(プサン)で治療を受けていた。見舞いに行くと言っても痩せた姿を見せたくなかったのか、最後まで見舞いを断った」と話した。故人は「若い選手らが動揺するかも知れないから、病名も知らせるな」とも言っていた。韓国野球最高の打者はそのようにして死を準備していた。

遺族は妻のカン・キョンファさん、息子ウィテさん(宣教師)。賓所(告別式場)は釜山東亜(トンア)大学病院葬儀場5号室。出棺は9日午前9時。051−256−7015



why@donga.com