19世紀末と20世紀初頭、中国と日本の国力が増大することに不安を感じた欧州と米国では、「黄色人種は西洋文明を脅かすことになるだろう」という黄禍論が盛んに叫ばれた。それから100年余りが経った21世紀の最初の10年間、アジアは経済力の面でそのような予測を実現するかのように見えた。特に、これから開かれる新しい10年間、アジアの変化はさらにダイナミックなものと見られる。
アジアは、「世界の煙突」や「世界の市場」を経て、今や「世界経済の司令部」としての役割に意欲を示している。中国やインドなどが西洋の名門企業を次々と買収し、東南アジアは中国やインドの後を追いつけている。中国の経営専門大学院に世界の人材らが集まり、金融中心地として跳躍するインドには、金が集まっている。そんな中、アジアの覇権を巡る対立も、新たに浮上している。世界の中心へと躍り出ているアジアの現場を訪ねてみた。
「最も安全かつ最もエコ的、最も効率のよい車を作れ。吉利自動車は世界に向け羽ばたくべきだ」。
昨年12月15日に訪れた中国浙江省寧波市の吉利自動車工場の壁には、このようなスローガンが、中国語と英語でそれぞれ書かれてあった。現代(ヒョンデ)自動車・蔚山(ウルサン)工場でも目にできかった英語のスローガンが、寧波工場のいたるところにあった。「世界」を目指すということがぐんと胸にしみた。吉利自動車の自主ブランド「エムグランド」の中型車「EC7」を生産する組立ラインは、活気に溢れていた。ここの従業員数は、韓国のいかなる自動車工場よりも多い。
吉利車は昨年、スウェーデンのボルボを18億ドルで買収し、世界的な話題を集めた中国固有の自動車メーカーだ。自動車業界では、吉利車が、安全関連技術を含め、ボルボの先端技術を習得するのは時間の問題だという見方が多い。買収条件に、製造工場のみならず、商標権や様々なデザイン、オリジナル技術などの知的財産権も全て含まれているからだ。
寧波工場の工程自動化の程度は、現代自動車・蔚山工場やフォルクスワーゲンのヴォルフスブルク工場に比べ、一ランク低い水準だったが、工場床や設備は二つの工場に劣らぬほどきれいで、最終的な品質検査もきめ細かく行われている。高校でも卒業したのかと思われるほど幼い顔の生産職従業員らの間には、女性も少なくない。作業動線を深く研究しなかったためか、職員らが不便な姿勢でしゃがみこんで、ネジを締める姿が見えたが、表情は皆意欲に満ちていた。
案内を引き受けた吉利車の賀艶代理は、「工場職員4000人余りの平均年齢は28歳だ」と言い、「寧波工場では2分48秒ごとに1台の車が作られている」と説明した。
杭州市・吉利車本社の職員らの自信も大変なものだった。北京で英字新聞の記者として働き、最近、転職して吉利車に入社したという武慶斌広報担当マネジャーは、「EC7は、中国市場で爆発的な人気を集め、12月に発売された大型セダン、EC8は、今注文が殺到している」と主張した。記者が直接乗ってみたEC8は、走行性能やインテリアの仕上げのレベルは、一般的に想像される「中国車」とははっきり違っていた。04年に生産中止となった現代自動車「ニューEFソナタ」のレベルはすでに超えている。
楊學良吉利車ディレクターは、「10年後を見据えた時、中国で最も有望な自動車メーカーは我々だ」と言いきった。中国独自ブランドの自動車メーカーの中でも製品構成が小型車に偏り、市場トレンドに追いつくことができず、品質問題に直面しているBYDとは異なって、自分らは予め、大型車を開発し、品質管理も徹底に行っているので、顧客とディーラーの忠誠度合が高いという説明だった。吉利車は、自分らの販売量は今年、BYDを追い越し、中国独自ブランドトップに躍り出るだろうと期待している。
楊ディレクターは、「我々は6、7年後の販売量は100万台に達すると見ており、海外にも工場を建設する計画だ」と言い、「韓国の現代車はすばらしい会社だが、いつか、ある領域では我々が現代車を追い抜くことになるだろう」と話した。
同月22日、インド・ムンバイから南東側に120キロ離れたタタ自動車のプネー工場は、2ヵ月前に発売された新車「アリア」の生産が盛んだった。08年、英国のジャガーやランドローバーを買収したタタ自動車が、独自開発したスポーツユーティリティビークル(SUV)アリアは、他の車とは組立ラインから完全に違った。床はきれいにペンキで塗られており、生産中の車体には、傷がつかないよう、保護材をつけていた。アリアに直接乗ってみた感想は、「感性品質はより改善すべきことがあるが、乗り心地や走行性能では、韓国車より取り立てて落ちたりしていない」ということだった。
プネー工場のアニール・トリベーディ部長は、「アリアはエアーバックが6個あり、後方カメラやクルーズコントロールなどの先端装置を多様に取り付けている」と言い、「11年は1日当たり120台を生産することになるだろう」と話した。
中国の吉利車とインドのタタ車は、自分らより進んだ西洋企業を買収したアジア自動車メーカーということだけでなく、様々な点で似ている。吉利車は1997年、タタ車は1998年に乗用車事業に参入し、初期は膨大な損失をこうむり、海外企業各社から無視されたが、本国の自動車市場の成長と共に、ものすごいスピードで発展を遂げた。吉利車は、中国自動車市場では、地元ブランドでは2位で、タタ車は、インドの乗用車市場のシェアでは3位だ。
資本と実力とを備えた両社は、野望も同様に大きい。タタ車のギリシ・ワーグ乗用車部門長は、「今後製品群をさらに拡大し、乗用車部門への投資を強化する一方、長期的に潜在力のある海外市場への進出に乗り出す計画だ」と語った。タタ車と吉利車の二社は、共にアフリカやアジア市場に向け製品を輸出している。アル・ゴパラクリシナン・タタグループ副会長は、「我々は外国企業を買収する際、15〜20年後を考える」とした上で、「04年、韓国の大宇(テウ)乗用車を買収する際、インドにはきちんとした高速道路すら無かった」と話した。





