黄長鎏(ファン・ジャンヨプ)元朝鮮労働党書記の埋葬が、14日午後3時から約30分間、遺族や市民ら約250人が参列する中、国立大田顕忠園(テジョン・ヒョンチュンウォン)墓地で行われた。ホン・スンギョン北朝鮮民主化委員会常任副委員長の略歴報告、鄭喜卿(チョン・ヒキギョン)チョンガン学院理事長とカン・テウク民主主義理念研究会長の弔辞、朴𨛗用(パク・クァンヨン)元国会議長(葬儀委員長)の焼香と献花が順に行われた。
鄭理事長は、「もう少し長く生きておられれば、民主的に統一された祖国をご覧になられたでしょうに、残念です。民族の分断と対立の惨憺たる現代史を生きてこられました。今は、苦難を忘れて、神様のもとで慰労と称賛を受けられますようお祈りします」と述べた。
黄氏の遺体は、李鍾郁(イ・ジョンウク)元世界保健機構(WHO)事務総長、ベルリン五輪マラソン金メダリストの孫基禎(ソン・キジョン)氏、児童文学家の尹石重(ユン・ソクチュン)氏、安京模(アン・ギョンモ)元交通部長官らが埋葬された国家社会貢献者墓地の26番の場所に埋葬された。
故人の棺を包んでいた太極旗(テグクキ=韓国の国旗)を取り、棺を下ろした後、養女の金スクヒャン氏(68)は、シャベルで土をかけ、唇を噛みしめ涙をこらえた。埋葬の後、墓地の前には「第26号国家社会貢献者・黄長鎏の墓」と書かれた木碑が立てられた。
金氏は、「故人は統一を願う南北の同胞の心の中に、今日も明日も生きていくことでしょう。故人の偉業を継承することが、国民の関心と激励に報いることだと思います」と述べた。
これに先立ち同日午前10時、安置所のソウル松坡区風納洞(ソンパク・プンナプトン)のソウル峨山(アサン)病院で行われた告別式は、重い雰囲気だった。故人の遺影と国民勲章に続き、太極旗で包まれた棺が運ばれると、告別式場には重い沈黙が流れた。230人が収容定員のソウル峨山病院1階の告別式場は、弔問客で埋め尽くされ、一部はドアの外で追悼した。
朴𨛗用委員長は、弔辞で、「民主化の旗が平壌(ピョンヤン)に強く突き刺さるその日、この遺影を再び迎えて先生を送る。7000万の菊の花を踏まれて、安らかに天国の階段に上られることを願います」と冥福を祈った。
深呼吸をして追悼の辞を読んだ趙明哲(チョ・ミョンチョル)元金日成(キム・イルソン)総合大学教授は、こみ上げる悲しみを抑えきれず涙を流した。場内からもむせび泣く声が聞こえた。特に、故人が残した遺作詩「離別」が、生前の姿の映像とともに上映された時は、場内の泣き声が大きくなった。
告別式を終えた後、棺が霊柩車に向かう道には、人民軍出身の脱北者による北朝鮮人民解放戦線の会員約20人が、両側に並んで敬礼した。追悼客の多くは、国立大田顕忠園まで故人と同行した。葬儀委員会で準備した45人乗りのバス4台には空席がなかった。追悼客らは、霊柩車が視界から消えるまで見守り、一部の北朝鮮人権団体関係者は、プラカードを持ち、北朝鮮の3代世襲を批判するスローガンを叫んだ。
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