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韓国戦争時の洛東江防衛ライン、「護国平和ベルト」に

韓国戦争時の洛東江防衛ライン、「護国平和ベルト」に

Posted September. 02, 2010 07:42,   

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「焼け、全て消えてしまった寂しい廃虚/昇る朝日を胸に抱き/立て、君の力で再び建てよ/ああ、洛東江、洛東江/悠々と流れる希望の洛東江…」

鷺山(ノサン)李殷相(イ・ウンサン)は、韓国戦争当時、激しい洛東江(ナクトンガン)戦闘を思い起こし、廃虚の中でもこのように希望を見い出そうとした。慶尚北道漆谷郡石積面中旨里(キョンサンプクト・チルゴクグン・ソクチョクミョン・チュンジリ)にある「倭館(ウェグァン)地区戦跡記念館」の庭にある鷺山の詩碑に込められた詩人の思いのためか。ここで3日午後4時、「洛東江護国平和ベルト造成」起工式が行われる。国を救った洛東江戦闘が60年経ち、名誉の殿堂入りを果たす。

1950年8月の戦況は、韓国全土の10%に該当する洛東江一帯を除き、全て北朝鮮軍に占領された状態だった。洛東江防衛ラインが崩壊すれば、海外に亡命政府を建てなければならないほど危うい状態だった。北朝鮮軍の進撃を阻止するため、倭館鉄橋を爆破することで始まった洛東江戦闘で勝利し、仁川(インチョン)上陸作戦も可能となった。

起工式を控え、先月27日にここを訪れた陸軍50師団の李ジンモ師団長(58)は、近隣の鵲烏山(チャクオサン)303高地に登り、「今のように情報通信や兵器が発達していない状況で、洛東江防衛ラインを守ったことを考えると感極まる。歴史の中で洛東江戦闘が、新たに刻まれる大切な日だ」と話した。

慶尚北道と国家報勲処が今年から13年まで、漆谷郡倭館や多富洞(タブドン)地区を始め、霊泉(ヨンチョン)地区、慶州(キョンジュ)・安康(アンガン)地区、浦項(ポハン)地区、霊徳(ヨンドク)地区など、洛東江戦闘が激しかった戦跡地を中心に造成する洛東江護国平和ベルトは、国を守るという護国の思いを歴史や文化、観光を盛り込み新たに作られる。味気ない記念公園ではなく、立体映像を活用し、戦争状況が体験できるという。当時、鵲烏山頂上に駐留し、北朝鮮軍によって全滅した米軍約40人のためには、「命を賭けて戦え」という意味の韓米友情の公園も造成される。陸軍第2作戦司令部(司令官=李チョルフィ隊長)は、同日午後1時から漆谷の倭館鉄橋一帯で、参戦勇士や家族、国家有功者、住民ら1万人余りが参加し、当時の戦闘シーンを再現するなど洛東江地区戦闘勝利記念イベントを行う。



boriam@donga.com