バンクーバーでもう一つの奇跡を成し遂げた。車椅子カーリングの韓国代表が、10年バンクーバー冬季パラリンピックで金メダルほど貴重な銀メダルを獲得する快挙をあげた。韓国の車椅子カーリング史上初の銀メダルで、冬季パラリンピック団体戦での初メダルである。バンクーバー冬季五輪で金妍兒(キム・ヨナ)、牟泰釩(モ・テボム)、李相花(イ・サンファ)、李承勲(イ・スンフン)、李政洙(イ・ジョンス)選手が取った金メダルほど貴重なメダルである。車椅子に乗って大きな希望を打ち上げては明るく笑うカン・ミスク、金ミョンジン、金ハクソン、チョ・ヤンヒョン選手と金ウテク監督に送る拍手が、心の底から自ずとわき上がってくる。
車椅子カーリングは、7年前に初めて国内に導入された種目だ。氷上でストーンを押し流す競技そのものがほとんど知られていなく、国民の関心は大きくなかった。選手層が薄い非人気種目で欧州や北米の強豪を制して銀メダルを獲得したのは、腕前の以前に強い精神力があったからこそ可能だった。
「氷上のチェス」と呼ばれる車椅子カーリングは、韓国最初のチームが03年8月に結成されたが、練習場を探すことから大変だった。代表チームは五輪を控えていた時も専用のカーリング場がなくて利川(イチョン)の障害者総合訓練院のプールの底を凍らせた臨時のカーリング場で練習した。このような悪条件を乗り越えて初出場した韓国代表選手らは、強豪カナダと決勝戦を戦って1−8から7−8まで追いあげる大接戦を繰り広げた。カナダは主将の運動経歴が52年で、人口3000人当たり一つの割合で競技場がある国だ。惜敗だったが、カナダの観客も韓国チームの善戦に激励を送った。
産業災害や事故で障害を負った選手らは、災害年金で生計を立てながらも練習を諦めなかった。歯科医の金監督は、選手経験はないが、誰かはやらなければならないという気持ちでボランティアで代表チームを引き受けた。
韓国は今月2日閉幕した冬季五輪で、計14個のメダルを取って総合成績5位、アジア勢では1位という歴代最高の成績を上げた。冬季五輪がどの面から見てもお金持ちの国のお祭りというイメージが強い反面、障害者の強い意志と共に社会参加の程度を示すパラリンピックは国格を示す物差しである。
誰がこの時世が寒くて厳しいとばかり言うのか。障害や劣悪な環境に屈せず、バンクーバーの空に太極旗を翻したパラリンピック選手らの挑戦精神と闘志を全ての国民が見習おう。バンクーバーで相次いで成し遂げた神話の精神がそれぞれの分野に広がることを期待する。