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孫基禎・黄永祚・李鳳柱…そして、もう一つの歴史「ゴールドラベル」

孫基禎・黄永祚・李鳳柱…そして、もう一つの歴史「ゴールドラベル」

Posted February. 04, 2010 09:34,   

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1931年3月21日、正午を知らせるサイレンと共にスタートを切った東亜(トンア)マラソンは国民に希望と夢を届けた。日本占領時代の時は、鬱憤を我慢する触媒剤であり、解放後は韓国の草の根マラソンを先導し、記録の産室と呼ばれた。00年代に入って、ソウル国際マラソン大会兼東亜マラソン大会へと名称が変わったが、今でも「東亜マラソン」と呼ばれる。この名前の中に、韓国マラソンの歴史が丸ごと込められている。

●韓国マラソンの歴史

1932年、ロサンゼルス五輪6位の故・金恩培(キム・ウンベ)先生、1936年ベルリン五輪金メダリストの故・孫基禎(ソン・ギジョン)先生、1992年バルセロナ五輪チャンピオンの黄永祚(ファン・ヨンジョ)国民体育振興公団監督、1996年アトランタ五輪銀メダリストの李鳳柱(イ・ボンジュ)、韓国マラソンの希望、池永駿(チ・ヨンジュン、コロン)…。韓国マラソン選手にして東亜マラソンを経験していない選手はいない。孫先生は1932年の第2回大会の時に初めて出場し、2位につけてその名を有名にし、3回大会で優勝して国内の第一人者となった。3年後、ベルリン五輪で2時間29分19秒という五輪最高記録で優勝した。東亜日報は、8月25日付けの孫先生の優勝写真から日の丸を消して朝鮮人に民族の誇りを植え付けた。

東亜マラソンは、歴代男子マラソンで樹立された韓国記録28回の中で10回を誕生させたほど新記録の産室と呼ばれる。東亜マラソンは、1994年、国内で初めて一般の国民が参加するマスターズ部門を新設してマラソンブームを呼び起こし、草の根マラソンの生みの母としての役割を担っている。06年、2万4401人のマスターズマラソンランナーが参加して歴代最多を記録し、今年も2万2746人が参加を申し込んだ。

●世界的なブランド大会への跳躍

東亜マラソンは、00年、慶州(キョンジュ)からソウルへ大会開催地を移した。世界的なマラソン大会の第一条件は、「首都の都心を走ること」である。東亜マラソンがソウルへ開催地を移した理由である。

世界的なマラソン大会として認められるため、良い記録は欠かせない。ソウル国際マラソン事務局は、00年以降、ソウルのコースを7度も変更した。全ての参加者に楽しく走ってもらうためだった。ケニア、エチオピア、南アフリカ共和国など、2時間5〜6分台の世界的な健脚らを招待してきた。

このような努力の結果、04年、南アフリカ共和国のゲート・タイスは2時間7分6秒の国内大会最高記録を立てた。この記録は同年の優勝記録の中で世界6位だった。世界的な大会と肩を並べたという証拠だった。国内開催大会の歴代男子部トップ7は、いずれもソウル国際マラソンから送り出された。ソウル国際マラソンはマスターズ参加者の数でも断然国内最高である。事前基金の募金でも先導的な役割を果たしている。世界中の62カ国に生中継される。

東亜日報慶州国際マラソン大会も今年からIAAFシルバー大会へと格上げされた。06年国際大会になってから5年でブロンズのラベルを脱皮する成長を成し遂げた。国内では今年、朝鮮(チョソン)日報春川(チュンチョン)マラソン大会がシルバー、中央(チュンアン)日報マラソン大会がブロンズ大会として開かれる。



yjongk@donga.com