東亜(トンア)日報は、事故の犠牲者である朴氏の夫パン・ヨンミン氏(54)に会った。1年が経ったが、彼は癒えることのない傷で、今も苦しんでいた。
●「北朝鮮は突破できない壁だと諦めた」
「事故後、酒をあまり飲まなくなりました。酒を飲んで家に戻った時、妻がいないことが殊更に感じられて…」
9日の夕方、ソウル蘆原区上渓洞(ノウォンク・サンゲドン)。パン氏は、家を訪れた記者を見て、「ただ静かに忘れたい」と手を振って断ったが、自宅前の居酒屋で、これまで経験した精神的苦痛を打ち明けた。パン氏は、「小言を言っても、朝起きれば、はちみつを出してくれ、味噌汁も作ってくれたのに…」と言いながら、朴氏のことを思い出した。
「想像もしなかったことだ。妻が北朝鮮軍に撃たれて、死ぬなんて想像できるだろうか」。伴侶を失い1年経ったが、事故の原因は未だに究明されず、捜査はうやむやのまま終わった。
パン氏は、「当時、保守団体とメディアが公正な捜査を訴えたが、その関心は10日も続かなかった」と苦々しく語った。しかし、彼は、「1年前も、政府に嘆願書を出したり、北朝鮮糾弾集会を開くことに賛成しなかった。もう取り返しのつかないことなのに、政府や北朝鮮を糾弾したところで、何ができるだろうか」と語った。彼は、「壁でも、普通の壁なら突破しようと飛びかかってみるが、北朝鮮が関係している問題は、到底越えることのできない壁のようだ。しかし、理由が何であれ、人の命を奪うことは誤ったことだ」と付け加えた。
●「一人で生きて行く術を会得中」
パン氏は、人知れず涙もたくさん流したと打ち明けた。「人から私が泣かず、無情だと言われれたが、一人でいる時、体の中から突然何かがこみ上げてくる時がある。その時は、道を歩いていても涙が出てきて、地下鉄に乗っていても泣く。除隊したばかりの息子は、もっと衝撃が大きく、北朝鮮に対し、激しく憤った」。
こみ上げてくる激しい感情と妻への懐かしさを、息子のことを考え、抑えたという。パン氏は、「このように暮してはいけないと思い、今年からご飯も炊き、おかずも作り、一人で生きて行く術を身につけている」と語った。
長男のチェジョン氏(24)は、08年に除隊し、大学に復学した。パン氏は、長男に対し、「最近、母親の代わりに、掃除も洗濯もする。思ったより私の言うことをよく聞いて、よく耐えている。大きくなったと思う」と話した。彼は、「たびたび、息子とこのように酒を飲むが、そのたびに『過去のことは考えず、前を見て一生懸命生きよう』と言う」と話した。
パン氏は、北朝鮮に抑留されている開城(ケソン)工業団地の職員と2人の米国人女性記者について聞くと、「それでもあの人たちは生きている、帰ってくるという希望がある…」と言葉を濁ごした。パン氏の目は涙で潤んでいた。
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