ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領(64)の支持率が81.5%であると、最近、現地の世論調査機関CNTが発表した。憲法を改正して「3選大統領」をつくろうという世論が広がるほど人気が高い。ルーラ大統領は、米ニューズウィーク誌とのインタビューで、「経済成長と所得分配の改善が可能だということを示したためだ」と自らを評価した。02年、中道左派労働党候補として当選したルーラ大統領は、左派によくある反市場ポピュリズムを選ばなかった。国富のパイを育てる市場経済の原則に忠実でありながら、貧困層に対する大胆な支援で、中産層を育てた。ブラジルの豊かな資源を活用し、市場の效率性を高め、より多くの国民が恩恵を受けるようにしようと反発する左派を説得し、国論をまとめた。ルーラ大統領は、反対派を侮辱することも争うこともせず、過去の政府が国際通貨基金(IMF)の支援を受けた時に約束した財政の安定、規制改革、経済開放政策を持続的に展開した。
そのおかげで、ブラジルは最近、30年来の最高成長を記録し、雇用も増えた。公共負債は、02年の国内総生産(GDP)の55%から09年には35%に減少し、輸出は4倍に増え、貧困層のうち2000万人が貧困から脱した。子どもを学校に通わせれば生計を支援する福祉制度「ボルサ・ファミリア」で、貧困層の自立意志と未来の競争力を育てたと、英エコノミスト誌は評価した。
中道左派出身のルーラ大統領が、右派の市場経済原理でブラジルを立て直したなら、英保守党のデイヴィッド・カメロン党首(42)は、社会的弱者の保護と福祉、環境などの左派的理想を組み合わせた新たな保守のモデルだ。カメロン党首は、来年の総選挙で首相として政権を獲得する可能性が高いとされており、米メディアは、米共和党にカメロン・モデルを学ぶよう求めている。
カメロン党首は06年、求心点と志向性を失ってさまよう保守党の党首となり、「貧困を減らし、社会的正義を追求する」として「右派が新たな進歩だ」と宣言した。市場と效率を強調し、30年前の英国病を治癒したサッチャーリズムで成長を続けながら、結実を分配すると明らかにした。方法は、理念ではなく実用主義だ。教育や医療、福祉の民営化でサービスの質を高めながら、企業と労組には家族親和的な雇用で、国民所得ではなくウェルビーイング(身体的・精神的及び社会的に良好な状態)指数を高めようと呼びかける。無条件の減税や小さな政府ではなく、政府の機能に市場の活力を組み合わせる中道だ。
似たところがなさそうなブラジルと英国だが、公教育問題で悩む点では同じだ。エコノミスト誌は、「70年代、韓国とブラジルの1人当たりの国民所得は同じだったが、今は韓国がブラジルより4倍多い」とし、教育がその理由だと指摘した。ブラジル教育の最大の障害物は、改革を拒否する教員労組だ。成果給制度はもとより、教科書どおり教えるよう要求する政府政策にも頑として抵抗する。教育競争力を育てることができなくては、先進国入りは遠いという診断が出ている。
英国では2月、ケンブリッジ大学の入試部の部長が、「水準の低い教師のせいで、公立学校の卒業生の学力が落ちている」と批判し、衝撃を与えた。学校間の競争と学校選択権による競争力の向上が、カメロン党首の教育改革の方向だ。
ブラジルが羨望の目で見ていた韓国の教育が、今は逆にブラジルに似てきている。全教組に振り回されるだけでなく、李明博(イ・ミョンバク)政府まで、官治と規制、下向平等志向に戻っている。特別目的高校の入試で、内申の反映を禁止するのが端的な例だ。庶民と中産層の家計を圧迫する教育費は抑えなければならないが、方法論で問題がある。入試に内申の成績を反映しないなら、特別目的校は何を見て学生を選抜するのか。
世界的な経済危機で、市場経済に対する疑問が大きくなったとはいうものの、市場の效率性を高める政策とともに、弱者保護に力を入れるのが政府の役割だ。市場のメカニズムを活用して輸出とともに内需を育てるには、高熟練知識産業のグローバルな人材が必要だ。そのためには、質の高い教育に力を入れなければならない。教育の質を下げてはならない。立ち後れた人々のための社会的セーフティネットを拡充し、恩恵がすべてに届くように政府サービスの質を高める一方、その恩恵が働く福祉につながるように設計する必要がある。
世界的な経済危機で、望ましい経済モデルを見出そうとする模索が活発だが、李明博政府が1年6ヵ月前に掲げた国政基調は、大きく見て誤ってはいない。問題は、中道という概念を、韓国の右派と左派の中間に位置づける時、危険な混沌を引き起こす恐れがあるという点だ。自由民主主義や市場経済、法治という根本的価値を認めてともに守る左派なら問題はないが、現在の韓国の左派集団の多くは、政権を打倒することができれば何でもするという考えを持っている。中道という言葉が、このような勢力まで含めて算術的中間といった具合に誤解されたり、そのようなメッセージを与えるものではいけない。中道は目標に至る方法であり、それ自体が目的になることはできない。