大韓帝国が群山(クンサン)を開港したのは1899年のことだった。開港当時、588人が居住し閑散としていた港は、日本植民地時代は、釜山(プサン)に次いで貨物取扱量が多い町に急成長した。周辺の平野で生産される米は、群山港を経て持ち出された。蔡萬植(チェ・マンシク)の代表作「濁流」は、生産活動が活発だった時期の群山を舞台に書かれた小説だ。小説に登場するチョン主事は、故郷の財産をすべて整理して、群山に移り住む。郡三には米を先物として取引する米豆市場があった。投機場に他ならなかった米豆市場で、彼は全ての財産をなくし、没落する。群山は米関係の産業で栄えたが、植民地からの独立した後は長い間低迷に陥った。
◆群山が再び脚光を浴びている。ほかの地方都市が慢性的な人口流出で深く悩んでいるというのに、群山の人口はこの2年間、5000人が増加した。隣には広々としたセマングム事業地があり、群山は日増しに発展するだろうという期待が大きい。07年、現代(ヒョンデ)重工業の造船所誘致に成功したことも、活気を吹き込むのに大きく貢献した。市当局はこの3年間、397社の企業誘致に成功した。最近発表された個別公示地価の算定を見れば、群山の土地価格は昨年より14.22%も上昇した。ほかの地域の公示地価のほとんどが下落したのとは対照的だ。
◆群山は長い間、地域経済の衰退によって困難を経験した。地方が生き残る道は、企業誘致しかないと判断した市当局は、企業誘致に成功した公務員を特別昇進させ、移転した企業には破格的な支援を約束した。世界最大規模のデッキが建設される群山造船所が、来年2月に稼動を開始すれば、大規模な人口流入が期待される。地方の活路は、企業がどれだけその都市に魅力を感じて移転してくるかにかかっている。
◆群山は文化的な潜在力も備えている。かつて、栄華を謳歌した都市らしく、群山は開港以後に立てられた近代の建物がよく保存されている。旧朝鮮銀行や税金建物など100軒余りに上る。ほかの都市なら、都市開発の過程ですでに取り壊されたはずだが、都市の長い低迷によって、開発の手から遠ざかったため、生き残ることができた。映画やテレビ・ドラマのロケ地として人気を集めており、旧都心周辺を近代文化のテーマ・パークとして造成しようという文化界の声が高い。現代と近代が共存する特別な都市、群山の未来にかける期待が大きい。
洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com