米国のヒラリー・クリントン上院議員は、民主党の大統領選挙の指名候補選びの時、「私は約80ヵ国を訪れ、世界の指導者とともに働いた」と言って、外交経験を強調した。クリントン陣営が、「午前3時、非常事態に鳴る電話に誰が出るのか」という政治広告を出したのも、バラク・オバマ上院議員の外交経験不足を浮き彫りにしようという戦略だった。この広告は失敗した。多くの有権者が、米国の安全保障が危急な状況で、電話に出ることを望む人として、ジョン・マケイン共和党候補を選んだためだ。
◆1日、オバマ次期政府の国務長官に指名されたクリントン氏が、8年間、ファーストレディとして多くの国を訪れ、指導者たちと親交を築いたことは、米国の重要な資産だ。英国のダイアナ妃の葬儀に参列した翌日には、インドのマザー・テレサの葬儀に参列するという目まぐるしい日程を消化したこともある。しかし、クリントン氏が訪れた国の数は、大きな意味がない。米国と世界の平和のために、外交をどれほどスムーズに遂行したかが核心だろう。
◆クリントン氏は、別のファーストレディと違って、夫を残して一人で海外を歴訪したことが多かった。95年の中国の北京世界女性大会もその席だった。クリントン氏は、「女権は人権と分離できず、人権の付属物でもない」と演説し、中国政府を困惑させた。ニューヨークタイムズは、この事件を「ヒラリーの公的生活で最高の瞬間」と評価した。クリントン氏の海外歴訪は、ファーストレディの資格ではなく、特使の資格で行なわれたケースも多かった。デイトン合意の重要性を示すためのクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの訪問も、特使の資格だった。
◆「私が、ファーストレディ時代に学んだ最も重要な教訓は、外交政策は、指導者間の人間関係に大いに左右されるということだ。理念が対立する国も、指導者が互いに知って、信頼すれば、簡単に合意に至り、同盟関係を結ぶこともできる。しかし、このような外交に成功するには、当事者が絶えず親密に非公式の対話を交わさなければならない」。クリントン氏が自叙伝で明らかにした外交哲学だ。クリントン氏の外交哲学が、イランと北朝鮮の核開発阻止やテロとの戦いのような実戦舞台でどのように発揮されるのか、世界が見つめている。
鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員 shchung@donga.com






