英国の社会学者アンソニー・ギデンズは、「対話民主主義」を強調する。現代社会で多彩な集団の利害を調整するには、対話と討論が最も重要だというのだ。対話と討論は似ているように見えても違いがある。「対話」は気兼ねなく心を開いて話し合うという意味が顕著な一方、「討論」は具体的な事実と根拠を持って、合理的な意思決定を下す過程だ。そのため討論は、理性的な雰囲気の中で行なわれなければならず、討論の参加者たちの「科学的思考」が欠かせない。
◆感性的な傾向が強い韓国社会でも、討論文化の不在に対する憂慮が強いが、民主主義の本場である米国や欧州も例外ではない。これらの国家が最近、学校教育で強調する「みんなのための科学(science for all)」という目標は、民主市民の育成と関係がある。過去の科学教育は、少数の天才を発掘し、有能な科学者や技術者に育てればよかった。韓国も同じだった。しかし、今や対象は大きく広がった。普通の市民も、最小限の科学的素養を備えるように教育の方向が変わったのだ。
◆教育を通じて、普通の市民の論理的・科学的思考能力を養うことができなければ、国家は高いコストを払うことなる。韓国は、原始自然ではなく科学文明が創造した「第2の自然」の中に住んでいる。この中で科学を理解できなければ、社会全体が予想もつかない虚構と幻想に捉われる恐れがある。米国産牛肉問題がその例だ。2ヵ月間のろうそくデモの過程を振り返れば、非科学的虚構と反理性に振り回されたという空しさが拭えない。日本経済新聞が、「韓国は1987年の民主化から20年が経ったにもかかわらず、対立する問題を討論で解決しようとしない」と報じたことは、耳の痛い指摘だ。
◆今回の事態を主導した勢力は、「閉じた進歩」である。彼らは、討論を叫びながらも、自らは自分だけが正しいという我執に捉われている。狂牛病(牛海綿状脳症=BSE)の危険が誇張され、牛肉再交渉が不必要だということを知りながらも、5日のろうそくデモで、「国民が与える最後のチャンスだ、再交渉せよ」と無理強いをする。理性的討論が不可能な相手であることを自ら暴露したのだ。国民は冷徹で、科学的な目で事態を直視するほかない。
洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com






