左翼ゲリラ組職、コロンビア革命軍(FARC)に拉致され、約6年間も人質となって拘束されていた元大統領選候補のイングリッド・ベタンクール氏(46)や米国人3人、コロンビア軍人や警察官など合わせて15人が2日、コロンビア軍の劇的な作戦で、全員無事救出された。
ベタンクール氏と米国人の人質は、FARCが、コロンビア政府に逮捕された服役メンバー数百人と交換しようとしていた「政治的人質」だった。このため、今回の救出作戦で、FARCは存立が脅かされる打撃を受けることになった。
●軍要員がNGOを装って反軍に接近
インタ−ナショナル・ヘラルド・トリビューン(IHT)は3日、コロンビアのフアン・マヌエル・サントス国防長官の言葉を引用して、「一発の発砲もなく、ゲリラを欺いて成し遂げた大胆なヘリ救出作戦」の顛末を詳しく報じた。
コロンビア軍の情報要員たちは、数ヵ月前、非政府組織(NGO)の関係者を装って、ゲリラの最高指導部に侵入した。こうして最高位層と親交を深めた情報要員たちは、人質をFARCの新任最高幹部アルフォンソ・カノに連れていくと言って、人質を担当していた地域司令官を欺いた。
3つのグループに分かれた人質15人は、2日未明、手足を縛られた状態で、2機のMI17ヘリが待つ南部グアビアレ州の密林に移動させられた。ヘリコプター1機は地上に待機し、もう1機は空中で待機していた。
ベタンクール氏は、人質の交換が行われたと思い、希望を抱いてヘリコプターに乗り込んだが、乗務員の一部が左翼革命家チェ・ゲバラの肖像が描かれたTシャツを着ているのを見て、彼らが別のゲリラであると判断し、落胆した。これまで自分を監視していた人も目についた。
しかし、ヘリコプターが離陸した直後、要員たちは、人質とともにヘリコプターに乗りこんだFARCの監視員3人を一瞬にして制圧した。そして、操縦席に座ったある特捜部隊員が、「我々は政府軍です。皆さんは解放されました」と話した。
ベタンクール氏は、「私たちは喜びを抑えられず、飛び上がって声を上げたため、一時ヘリコプターが空から地上へ落ちるほどだった。(救出された事実を)信じられなかった」と話したと、IHTは伝えた。
時事週刊誌「タイム」によると、コロンビア軍の情報要員たちがFARCの指導部深くにしのび込んだ今回の救出作戦の暗号名は、スペイン語で「ハケ(Jaque)」だった。チェスで言えばチェック(Check)、すなわち「王手」というわけだ。
今回の作戦は、FARCが02年、政府軍に偽装して、カリ地域で議員13人を拉致した作戦を逆に使ったものだ。ニューヨークタイムズは3日付で、「コロンビア軍は、FARCの02年の作戦からヒントを得た。米国も、作戦の樹立および展開過程で、一定の役割を果たした」と報じた。
●ベタンクール氏、2010年の大統領選挙への出馬を希望
「生きて帰ることができるとは、夢にも思わなかった」
ベタンクール氏は、コロンビアの首都ボゴタで、母親のヨルランド・プレシオ氏や夫のフアン・カルロス・ルコンフ氏と感激の抱擁をし、このように話した。
一時、生命が危ういという情報が伝わりもしたが、CNNなどのテレビ画面に映ったベタンクール氏の姿は、多少やせていたが、比較的健康そうだった。
元夫とフランスに滞在するベタンクール氏の子どもも、喜びを表した。娘のメラニ氏(22)は、ロイター通信とのインタビューで、「お母さんを抱きしめる瞬間を待ちわびている」と話した。息子のローレーンジョ氏(19)は、「私の生涯で最も美しいニュースだ。驚き、とても幸せだ」と話した。
いっぽう、ベタンクール氏は、「私は、大統領としてコロンビアに奉仕することを望む」と述べ、2010年の大統領選へ出馬する可能性を示唆した。
大統領選挙の選挙公約として、ベンタンクール氏の釈放を掲げていたフランスのサルコジ大統領は、「6年間の悪夢が終わった」と語った。潘基文(パン・ギムン)国連事務総長やブッシュ米大統領など世界の指導者たちも、一斉に歓迎の意を表明した。
●最大の危機を迎えたFARC
最も「価値ある」人質だったベタンクール氏を逃したFARCは、発足44年で最大の危機に直面した。
反軍と戦ってきたコロンビア政府は、今回の作戦の成功を機に、反軍に対する圧迫を本格化する計画だ。アルバロ・ウリベ大統領は、救出作戦が成功した直後に発表した声明で、残りの人質をみな釈放し、平和路線を選ぶようFARCに求めた。
「タイム」誌によると、FARCは、10年前では2万人規模の威力を誇ったが、最近は1万人水準に減少した。特に、最近数ヵ月間、FARCの指導者級が次々に出頭し、5月には40年間組職を率いた最高リーダー・マヌエル・マルランダが死亡して、急速に勢力が弱体化した。






