オバマ議員は15日、「父の日」を迎え、シカゴのある教会で演説を行った。「あまりにも多くの父親が『作戦中、行方不明(MIA)』『職務離脱(AWOL)』の状態だ。あまりにも多くの子どもたちの人生と家庭における父親の存在がなくなった」。
オバマ議員は、シングルマザーが珍しくない黒人家庭の問題にも正面から触れた。「妊娠をさせたからと言ってみんな父親であるわけではない。どんな阿呆でも子どもは作れる。父親が大人の男ではなく、少年のように行動し、責任を放棄したせいで、家庭の基盤が崩れている」。
このようは発言は黒人社会で論議を巻き起こしかねない内容だ。黒人貧困の「悪循環の輪」を、人種差別といった構造的な部分に求める進歩的な見方と、黒人家庭内部の問題と見る保守的な見方が対立している中、後者を特に強調したものであるためだ。
自らも青少年期を父親不在の状況で育ったオバマ議員は、「私は父親の不在が意味することを誰よりもよく知っている。家で自分をリードし、進むべき方向を指し示してくれる大人の男がいないことが、子どもの心にどれほど大きな穴を残すのかよくわかっている」と強調した。
マケイン議員も、子どものごろ、父親が家にいない日が多かった。そのためか、幼いマケインは自分の気持ちをコントロールできない時が多かった。せっかく帰ってきた父親はそのような息子を冷たい水の入った湯船に服も脱がさず入れたりした。
マケイン議員の祖父と父親は、2人とも4ツ星の海軍提督出身だ。ベトナム戦争当時の1967年、海軍大尉マケインの戦闘機がハノイの上空で撃墜された時、彼の父親はベトナム戦争を指揮する太平洋司令官だった。
ベトナム軍は両腕と膝、肩を負傷したまま捕虜になったマケイン大尉を釈放すると提案したが、彼は「仲間と一緒にいる」と言って、特別釈放を拒んだ。父親は息子が爆撃の犠牲になりえることを十分承知の上、ハノイ爆撃を強化せよという命令を忠実に履行した。
マケイン議員は後日、「父親は職務に忠実であった」と評価した。マケイン議員の息子も06年秋、海兵隊に入隊してイラク戦争に派兵された。
たしかに家庭を捨てたり、厳しい父親ではあったが、2人の人生に与えた影響は実に大きかった。2人とも自分の父親が卒業した学校(オバマ議員はハーバード大学、マケイン議員は海軍士官学校)を出て、父親をテーマに本を書いた。
「父親はある日、顔を上げて高いところを見て、黒人にも可能性があるという信念を持って挑戦した」(オバマ議員)。
「父親のように誇りを持つ男になるのが、私の人生における永遠の野望だ。とっくの昔に死なれたが、依然として父親に認められたいという熱望が私の人生の源動力だ」(マケイン議員)。
sechepa@donga.com






