原油流出事故後、金おばあさんは一日も欠かさず店から20メートル離れた砂浜に行き、水平線を眺める。遠い海を眺め、カモメがいるか確かめる。その時にはいつも流行歌の「釜山(プサン)カモメ」を「泰安(テアン)カモメ」にリメイクして歌ったものだ。
しかし、カモメはどこにも見当たらない。原油流出事故が発生し20日余りが経った昨年12月末、しばらく10羽ほどのカモメが姿を見せ胸をなで下ろしたが、すぐに姿を消してしまった。
金おばあさんのカモメに対する愛情は格別だった。この一帯では「カモメばあさん」で有名だ。菓子を握った手を空高く振って、「カモメよ、カモメよ、クァッ、クァッ」と呼ぶと、数百羽のカモメが集まって壮観を演出した。
カモメも金おばあさんの愛情を感じたのか、彼女の懐に入ってくる。
隣人のクク・ヨンホさん(67)は、「カモメが、金さんの声や体のにおいがわかっているようだ」と話した。
ここを訪れる写真家たちはカモメを近くで撮影するために、金おばあさんを訪ねてくる。「カモメばあさん」という名声のためだ。
彼女のカモメに対する愛は、遠い昔にさかのぼる。瑞山市浮石面馬龍里(ソサンシ・プソクミョン・マリョンリ)の浅水(チョンス)湾の渡り鳥の渡来地近くの浜辺に住んでいた幼い頃から、カモメを見て育った。母親は毎日カモメにかかわる伝説を子守歌のように聞かせてくれたという。
結婚して万里浦(マンリポ)に移り住み、カモメの鳴き声を聞いた時は、「お母さんの糸車の音のようだ」と感じるほどだった。
1995年に夫がこの世を去ってからは、彼女にとってカモメはもはや単なる鳥ではなくなった。
「本当にやさしい夫だったが、一度去ったら二度と帰ってこない。でもカモメはどこかに行っても、いつもまた戻ってくる。人はカモメに及ばない…。」
カモメに対する彼女の愛情には、頭が下がるほどだという。羽に傷を負って飛ぶことができないカモメを見つけると自分の子どもように世話をして、動物病院で丁寧に治療して放してやる。カモメが病院にいる間、2、3日に一度はえさを持っていき元気をつけさせた。
カモメが消えたのは、昨年末の原油流出事故の直後だった。浜辺を襲った黒い油が憎いのもこのためだ。
「カモメは浜辺にえさが多くない冬には、あまり訪れない。しかし、以前は少し天候が和らげば必ず訪れていたが、今年は…。油を取り除いたとは言うが、カモメが来ないのは油のにおいのせいだ」
金おばあさんは、「カモメは魚の内臓も腐ったものは食べない。人間のように気難しく、汚染に対して敏感だ」と言って涙を浮かべた。
もしやとの思いで、賈誼島(カイド)や甕島(ウンド)など、周辺の島の人々にカモメが来たか尋ねたが、そこでも事情は同じだ。
「早くカモメが万里浦の海辺を悠々と飛んでほしい」
夕暮れの冬の潮風は冷たいが、金おばあさんには「カモメの夢」は募るばかりだ。
mhjee@donga.com






