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[オピニオン]私が会ったブット氏

Posted December. 29, 2007 08:05,   

「韓国とパキスタンは、植民地経験と独立時期、民主化に向けた絶え間ない闘争など、歴史的に多くの共通点を持って出発した。しかし、韓国はすでに世界11位(貿易規模基準)の経済大国に成長した第3世界のモデル国家となった」。1996年に訪韓したパキスタンのベーナズィール・ブット元首相は、筆者とのインタビューで「韓国の経済成長の経験を学びにきた」と話した。ブット氏は、経済を国家的課題と認識していた。パキスタンは人口1億6000万人で、1人当たりの国内総生産(GDP)は2600ドルと貧しい国だ。

◆ブット氏からは、西欧式合理主義とイスラムの家父長的情緒が混在しているという感じを受けた。頭を覆った白いチャドルと対照的に、足の指の爪には赤のマニキュアを塗った素足姿だった。達弁で、「生まれつきの政治家」だった。夫の腐敗容疑を問う意地悪な質問に対しては、「政治的弾圧を受けた当時、私たち夫婦には29の腐敗関連の罪名があった。しかし、私が政権を獲得してからは、すべての腐敗の輪を断ち切った」と答えた。しかし彼女も、無能と腐敗容疑で首相の座から退かなければならなかった。

◆ブット氏は、父親のズルフィカール・アリー・ブット元パキスタン大統領から政治的遺産と負債を一度に受け継いだ。24才の若さでパキスタン人民党(PPP)党首になった彼女は、独裁治下で9度も逮捕され、5年6ヵ月以上、監獄と軟禁生活を送った。ブット氏はインタビューで、「1979年に父が絞首刑にあった時、私は軟禁状態だった。今も眠りにつけば父の夢を見て、目が覚めれば父の記憶で苦しむ」と吐露した。

◆ブット氏は、父親が叶えられなかった政治的理想を繰り広げようという野心を果たせず、権力への危険な疾走に飛び出した。混迷する政局状況とテロの脅威にもかかわらず、昨年10月、ムシャラフ大統領との権力分点を狙って帰国を強行した。帰国当日、反対派が爆弾テロで彼女を迎えた。それによって約130人が死亡したが、屈することなく選挙遊説を続けた。テロの犠牲にあったブット氏の死で、パキスタンは再び民主主義の試験台に乗せられた。そして世界は、また一人の勇敢な女性指導者を失った。

鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員 shchung@donga.com