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「恐い指導者がいたからこそ『名古屋の太陽』も昇れたのです」

「恐い指導者がいたからこそ『名古屋の太陽』も昇れたのです」

Posted July. 11, 2007 03:13,   

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宣銅烈(ソン・ドンヨル、44)三星(サムスン)監督は星野仙一(60)日本野球代表チーム監督を「恐い指導者」だと話した。1996〜1999年中日で鉄壁の迎えとして活躍していた時、監督の愛弟子だったものの、当時の恐ろしい経験が忘れられないからだ。星野監督は打撃が振るわなかったり、守備ミスをしたりする選手がいれば、イニングが終わった後すぐ戒める指導者だった。できる選手には自分のポケットマネーから「ボーナス」を与えるが、できない選手には「拳」を食らわせるスタイルというわけだ。「試合途中、星野監督が野口茂樹(現読売)をダグアウトに連れてきたんです。そして、野口の頬っぺたを何度も殴ったのです。野口は口の中がただれてしばらく食事ができないぐらいでした」投手も例外ではなかった。相次いで四球を許したり失投する投手は、欠かさず星野監督に殴られたり蹴られたりした。幸いにも宣監督は星野監督の制裁にはあわなかった。日本プロ野球通算10勝4敗98セーブに防御率2.70を記録した「名古屋の守護神」だったからだ。しかし、宣監督が日本に進出した初年、5勝1敗3セーブに防御率5.50と振るわなかった時には危なかったこともある。「外国人選手を殴るわけにはどうしてもいかなかったのか、独り言で怒りを耐えていました。確かではないですが、『馬鹿野郎。そんなんなら韓国へ帰っちまえ』という内容でした。目から鱗が落ちるような気がしましたね」星野監督の急な性格は多少度が過ぎるとも思ったが、振るわない選手を強くする力があるというのが宣監督の話だ。師弟関係だった2人が12月の五輪予選ではライバルとして対面する。金卿文(キム・ギョンムン)斗山(トゥサン)監督を補佐して韓国代表チームの首席コーチを務める宣監督が師匠を乗り越えることができるかどうか、気になる。一方、星野監督は3泊4日間の韓国訪問を終え、9日、台湾へ向かった。



beetlez@donga.com