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4キロ残して100mの差追付いた「名品スパート」

4キロ残して100mの差追付いた「名品スパート」

Posted March. 19, 2007 07:11,   

めったに見られない名勝負で、劇的なレースだった。見守っていた人々が「もう駄目なのか」と感じていたその瞬間、李鳳柱(イ・ボンジュ)選手(37・三星電子)の真価が輝き始めた。

李鳳柱は最初から先頭グループでレースをした。最初10人余りだった先頭グループは1人ずつ離れ始めて25キロ地点では8人に減り、35キロ地点から李鳳柱とポール・キプロプ・キルイ選手、ラバン・キプケンボイ選手、エドウィン・コメン(以上ケニア)選手の4人に狭まれた。マラソン王国のケニアと韓国の3—1の争いだった。

関心は「誰が先に勝負に出るのか」ということだった。先に勝負に出たのは、今大会に参加した選手の中で、最高記録が2時間6分44秒で最も速いキルイだった。この記録は李鳳柱(2時間7分20秒、韓国記録)より36秒速く、06年ロッテルダム大会の時の記録だ。その一方、李鳳柱の最高記録は00年に立てたかなり古いものだ。2人の記録だけで見れば、李鳳柱の方が劣勢だった。

キルイは蚕室(チャムシル)大橋を渡る寸前、上り坂が始まった35.15キロ地点で歩幅を速くしながら前へ進み出して、レースは李鳳柱、コメン、キプケンボイがずらりと並んでキルイを追いかける様相になった。

36キロ地点では下り坂が始まったが、首位のキルイと2位の李鳳柱の間は開くばかりで、38.5キロ地点では100メートルぐらいが開いた。決勝地点であるソウル蚕室オリンピックメインスタジアムの電光板でレースを見守っていた人々の口から「あ〜」というため息が漏れる時、李鳳柱のスパートが始まった。

2人の間がまた狭まり、李鳳柱は40.62キロ地点でキルイの左側のそばを通った後、引き続き前へ進んだ。首を回して李鳳柱を眺めるキルイの顔に困惑した気配が見え見えだった。勝負はここで分かれた。

李鳳柱は、「ケニア選手が、そのままずっと速く走り続けるのは無理だと思っていた。最後まで諦めなければ、追い付けると思った」と話した。大韓陸上競技連盟のファン・ギュフン専務理事(建国大)は、「李鳳柱の持久力は有名だ。キルイとの心理戦で粘り強い李鳳柱が勝利した」と評価した。



kimsk@donga.com