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[オピニオン]「お世辞の技術」

Posted January. 01, 2007 03:39,   

ジミ・カーター元米大統領は在任時代「我が行政府が米国の市民ほど立派であること願います」と祈った。ロナルド・レーガン元大統領は「米国民の知恵を信じた時、私は一度も失敗したことがありませんでした」と演説した。彼らは誉められることを願う民主国家の国民の心理をよく察しており、「偉い国民」というほめ言葉で多数の支持を得た。一種の「おせじの活用」だ。最近、国内で翻訳し出版された米国タイムズ紙の編集長リチャード・ステンゲルの著書『お世辞の技術』に紹介された事例だ。

◆「すべてのものが国民の高い意識水準の結果でした。」「私たちは力を合わせると奇跡を成し遂げる国民です。」前述したものは2002年大統領選挙で盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補が語った言葉で、後述は2003年2月25日、大統領就任辞の最後の部分だ。しかし、その後盧大統領は国民を誉めるのにけち臭かった。2006年顯忠日の追悼辞での「恥ずかしい歴史」言及をはじめ、歴史、国民意識、大手企業、マスコミ、検察、特定地域の居住者、特定職業の従事者を皮肉って叱りつけた大統領だ。

◆21世紀にお世辞の技術は能力と資本に認識される。現代政治は「有権者にお世辞すること」という解釈もある。ところで私たちは誰かを狙った大統領の怒った顔に慣れている。大統領と国民の間が一方的で意思疎通ができないのはある前職首席秘書官の言葉通り「大統領は21世紀を暮すのに国民はまだ独裁時代の文化に陥っている」ためか。大統領はその間お世辞を受けることばかり望んだのではないか、国民にお世辞し国を平安にさせようとする努力はしてみたのか考えてみなければならない。

◆大統領選挙がある今年、国民は政治家らから「愛と尊敬」の話をうんざりするほど聞くに違いない。選挙のためのお世辞は遠慮したい。票のためのお世辞ではなく、国民の痒い所を捜して掻いてくれる、国民を説得する努力が込められたお世辞でなければならない。米国の社会学者のエドワード・ジョーンズの助言通り「本当にすばらしい」「全面的に同意する」「自慢するものではないが」「私が手伝う」の4段階を実践する水準にはならなければならない。

洪權熹(ホン・グォンヒ)論説委員 konihong@donga.com