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孫基禎のマラソン制覇70周年

Posted April. 01, 2006 03:00,   

「孫基禎(ソン・ギジョン)さんが走ったその道を直接走ってみたら、本当に胸が裂けそうです」。

バルセロナ五輪男子マラソン金メダリストの黄永祚(ファン・ヨンジョ、36、国民体育振興公団マラソン監督)さんが先月20日、胸に太極マークの鮮明なユニホームを着て、70年前、孫基禎(1912〜2002)先生の熱情がこもっているベルリン五輪スタジアムのトラックを走った。黄永祚さんは、孫さんを生前「私のお爺さん」だと語って、孫のように馴染んていたマラソンの後輩だ。黄永祚は感激を抑えきれないようにトラックをゆっくり一周した後、当時、ゴールラインが表示されていたところにしばらく足を止めた。そして、前もって用意した孫さんのゴールラインのゴールイン写真を取り出した。

「日の丸を付けるしかなかった孫さんの心はどれほど切なかったことでしょう。授賞台の上で頭とがっくり下げていた姿を、思い浮かべるたびに胸が痛んできます」。

56年の歳月のベルリンとバルセロナ五輪は色々な因果関係で結ばれている。優勝者が並んで韓国人であるだけでなく、大会の日付も同じく8月9日。さらに時間で見ると、孫さんが授賞台で月桂冠をかぶった8月9日午後6時に、まるでバトンタッチでもするように黄永祚さんがバルセロナから出発した。

参加選手もベルリンが56人(27カ国)で、バルセロナではちょうど2倍の112人(73カ国)。天候がマラソンをするには(適正温度摂氏9度)ちょっと暑いのも似ている。ベルリンは21〜22.3度、バルセロナは28度に湿度80%の蒸し暑い気候だ。

黄永祚は、「バルセロナでは、29キロ地点から(金)ワンギさんと私、そして日本の森下選手の3人が先頭を走ったが、ベルリンでは29キロ地点で『孫お爺さん』と英国のハーパー選手が、それまで先頭だったジャバラ(アルゼンチン、31キロ地点で棄権)選手に追い付いたんです」と話した。

40キロ地点の上がり坂もまったく同じだ。31キロ地点から単独首位だった孫さんは、丘の上で勝利を確信し、黄永祚さんはモンジュイック丘の40キロ上がり坂で森下選手を抜いてゴールまで走りきった。

孫さんはトラックを1.25周(500メートル)し、56人のうち22番目に運動場を走り抜けた。強力な優勝候補だったアルゼンチンのジャバラ(1932年、ロサンゼルス五輪優勝者)選手が2位と150メートルの距離を置いて先頭を疾走した。



mars@donga.com