1986年9月、大宇(テウ)自動車の職業訓練院6ヶ月コースを終了した26歳の若者が、正式に同社の組立て1部に入社した。きわめて平凡な労働者に見えたこの若者は、実は3年7ヶ月前にソウル大の航空工学科を卒業した「エリート大学生」出身だった。
エンジニアの夢をあきらめ、労働運動に足を踏み入れた彼は、いわゆる「偽装就業」に成功したが、翌年4月にその事実がばれ、会社から解雇された。91年には労働争議と関連し、1年間の実刑を受けている。
彼は紆余曲折の末、99年復職した。しかし、01年大宇自動車の倒産でリストラされたが、03年再び復職するなど、解雇と復職が繰り返された。
大学卒業後、21年余りが経った04年10月。40代になった「ソウル大出身の偽装就業者」は、GMの大宇自動車の買収とともに立ち上げられたGM大宇自動車労組の委員長に当選した。
ところが、彼は過去の「経歴」から読み取れるような強硬闘争のイメージから脱却し、労働者に実質的で役に立つ方向で労組を率いている。彼の努力は、会社と従業員いずれも共存できるウィン−ウィン戦略として実を結んだ。李成在(イ・ソンジェ・46)GM大宇自動車の労組委員長がその主人公だ。
●記者会見も労使が一緒に
GM大宇自動車のニコラス・ライリー社長と李委員長は16日、仁川富平(インチョン・プピョン)工場で共同記者会見を開き、会社の未来ビジョンを発表する予定だ。
特に同日の会見には、未復職者にたいし、近いうちに希望者全員の復職が行われるという内容が含まれるものとされている。
富平工場は、GMが大宇自動車を買収する前年である01年に経営破たんに追い込まれ、全労働者1700人あまりをリストラしたが、段階的に1000人あまりを復職させた状態だ。
富平工場でスポーツユティリティー車両(SUV)の生産が本格的にスタートする6月以前までには、残りの復職希望者がいずれも持ち場に帰る見通しだ。
GM大宇自動車の労使共同記者会見は、1967年シンジン自動車(旧大宇自動車の前身)の労組発足以来、初めてだ。とりわけ、GM大宇自動車の前身である大宇自動車の労組は1980年代「労働運動のメッカ」とされるほど、強硬だった。当時では想像もできなかったことだ。
李委員長は東亜(トンア)日報との電話インタービューで、「詳しい話は記者会見場でやりましょう」と述べた。
●史上最大の業績につながった労使協力
GMは02年7月、大宇自動車を買収する際に富平工場を外していた。当時、富平工場の買収条件として、「労働争議の損失が全世界のGM工場の2001年の平均以下になること」と掲げられた。
これを受け、富平工場は大宇仁川自動車という委託生産業者に成り下がった。GM大宇自動車と大宇仁川自動車は「2社1労組」形態となった。
大規模なリストラのしわ寄せを受けた労働者らは、職場の重要性をしみじみと感じた。大宇仁川自動車が生き残る道は、GM大宇自動車との統合しかなかった。
04年に発足した労組執行部は、このようなムードをきちんと読んでいた。李委員長は、当選以後毎朝出社する従業員に会って挨拶を交わし、現場の声に耳を傾けている。
周囲では、「前もって結論を出してそれを推し進める」過去の労組とは違って、「組合員の意見を総合的に吸収し、合理的な結論を下す」李委員長の舵取りが、労働運動の変化をもたらしたと評価している。
大宇自動車の労組は昨年1月、合同の日の出イベントで融合を誓った。同日、李委員長は「過去がサバイバルな闘争の歴史だったなら、これからは労使共生と発展に向けた時間となるだろう」と話した。
労使の「平和共存」は昨年8月の無紛糾賃金交渉妥結に続き、同年10月GMの大宇仁川自動車買収で実を結んでいる。GM大宇自動車は昨年115万台を販売し、大宇自動車時代を含め、史上最大の業績を上げている。
swon@donga.com aryssong@donga.com






