いま「康錦実(カン・グムシル)シンドローム」といえる現象が起こっている。政界を去った康氏に向けて、与党からはソウル市長候補に仕えるように熱をあげているが、その光景は見るにも涙ぐましい。指導部では「うまく行かないと、あなた(康錦実)と私が一緒に川に飛び降りなければならない」という話まで出る。康氏の語録どおり「コメディーよ、コメディー!」と聞き流してしまうことはできない何かある。一言で言って、世論の支持が強いからだ。
◆「女性だから」そうだろうか。そういえば、すでに1980年代に「21世紀は女性リーダーが幅を利かせる」と言う予言が出ていた。それは『メガトレンド(大きな流れ)2000年』という本であった。男性が組職を掌握して支配した過去と違い、未来には組職を高揚させて変化に迅速に対応する女性リーダーが強くなると述べていた。法律、金融、医学のような専門分野で競争力を持てば、この上ないとまで記述されていた。はたして、ヒラリー・クリントンや康錦実などの人物を見通していたのだろうか。
◆その本には、女性(femininity)、感性(feeling)、加工(fiction)の時代が来ると予言されていた。康錦実の身なりや化粧、ショールの色、芸術家趣向などのイメージにばかり関心が集まっている。独身生活をしながらダンスを楽しむというような個性と柔軟性が「虚無主義的な人文主義者」という評価を生んでいる。ある心理学者は「クールな先知者」のイメージ、「政治に合わないようなインターン政客のアマチュアリズム」から競争力を探したりする。そこに政治をあくまでも断る「隠れた花」のイメージも「康錦実フィクション」を拡大再生産するのかも知れない。
◆派閥や地域基盤のような資産なしに、彼女のような待遇を受けているのも珍しい。それでも彼女は候補に出馬するかどうかを考えている。あえて去った人にこだわる与党の人才難を実感する。そうであるほど、浮薄している人気の終着地が知りたい。結局、康錦実がソウル市長の候補に出るかどうかまだ分からないが、いまさら「爬羅剔抉」という言葉も思い浮かぶ。そこには良い人材を掘り出すという意味、爪で暴くように検証するという意味もある。はたして、康錦実シンドロームはどちらに流れるだろうか。
金忠植(キム・チュンシク)論説委員 skim@donga.com






