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[オピニオン]キム・サッカッ北朝鮮放浪記

[オピニオン]キム・サッカッ北朝鮮放浪記

Posted September. 07, 2005 06:34,   

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「土地は変わらないのに腰はまがり…どうして、北朝鮮の土地は血の色に染まってしまったのか」

1964年4月から30年間にわたって、毎日昼12時55分から5分間、KBS第1ラジオの電波に乗って放送された「キム・サッカッ北朝鮮放浪記」は、ラジオ時代の代表的な反共ドラマだった。「涙に濡れた豆満江(トゥマンガン)」のメロディをシグナル・ミュージックに使ったこのドラマは、北朝鮮指導部の悪政を責め、住民の惨状を嘆く「サッカッ」の活躍を伝えた。韓国の子どもが「軍官」の口ぶりを真似るなど、ドラマが成功するや、北朝鮮は1966年に対抗番組として、「洪吉童(ホン・ギルトン)南朝鮮放浪記」を作った。

◆同ドラマは、中央情報部が対北朝鮮心理戦の次元で企画された。北朝鮮の情報が不足していたために、逮捕したスパイや韓国に帰順した人の証言を活用したという。1994年4月にKBS社会教育放送の深夜の時間帯に移って命脈をつないできた同ドラマは、南北首脳会談1年後の2001年4月に放送中止になった。冷戦の解体と南北和解の進展の結果だった。

◆「キム・サッカッ北朝鮮放浪記」の作家である李基明(イ・ギミョン)国民参加連帯常任顧問は最近、3泊4日で平壌(ピョンヤン)を訪れ、「北朝鮮の人々の堂々として明るい表情や穏やかな態度に深い印象を受けた」とし、「北朝鮮を『人が住めない世の中』と描いて、大変申し訳ない思いがした」と話した。そして、「情報部が資料を直接提供した。20分のドラマの原稿料が1500ウォンだった時代に、5分なのにその倍を受け取った」と打ち明けた。

◆しかし平壌は、北朝鮮内でも生まれが良くて地位がある人々だけが居住する「特殊地域」だ。大半は訓練を受けた要員たちが、韓国の人々に対応する。孤児だった脱北少年のピョン・ジョンヒョク君(18)が、「ソル」というペンネームで青少年職業センターのホームページに書き込んだ18編の文章には、北朝鮮救護所で飢えのために死んでいく収容者たちの惨状が、ありありと記録されている。北朝鮮はまだ「人が住める世の中」ではない。平壌をちょっと見た印象で北朝鮮全体を評価するのは、過度な拙速であり、偏見的な感想にすぎない。

李東官(イ・ドングァン)論説委員 dklee@donga.com