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[オピニオン]輸出の道程

Posted December. 05, 2004 23:24,   

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1960、70年代のいわゆる「開発独裁」時代。朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領の最大の関心事は輸出だったろう。朴元大統領は毎月輸出振興拡大会議に各省庁の長官、財界代表、頭取、その他輸出関連組職の代表100人余りを出席させ、品目別、地域別の輸出実績について詳しく質問した。貿易業界があらゆる施策とネックを訴えれば、大統領とすべての出席者がメモして、関連省庁は翌月にファロー措置の結果を報告した。年末の今ごろは、商工部はその年の輸出目標を果たそうと必死だった。業界に総出動して毎日船積みを励して実績をせき立てて出血輸出も強いるなど、無理を強いた。まさに大統領が総司令官になって、国あげての「輸出戦争」に出たのだった。

◆年間5000万ドル、8000万ドルを輸出した60年代初め、輸出の尖兵は鉱夫、農夫、漁師たちだった。当時、韓国銀行の入行試験では韓国の5大輸出商品を聞いたが、米、タングステン、鉄鉱石、生糸、寒天などが正解だったはずだ。70年代に入ってからは、カツラ、履き物、紡織工場の女子工員らが、彼らに代わった。

◆遠洋漁業も一翼を担った。日本政府は5年が過ぎた漁船の傭船だけを認めたので、韓国企業は老朽化した船しか借りることができず、その漁獲物の販売も、日本の船主の指示に従わなければならなかった。当時の日本人は背が低く、船のベッドは160cmに過ぎなかった。そのため、体つきの小さな漁師だけが選ばれて、長い歳月を汚れて疲れる船上での生活をし、運が悪ければ風浪にさらされ、悪天候で死亡したりした。アフリカ西海岸の利口で健康な我が遠洋基地長は、日本遠洋会社が派遣した半分弱視の社員から常に監視されていた。彼は食事のたびに、彼を家に連れて行き、洗濯やあらゆる手伝いをさせた。

◆今年の輸出は2500億ドルを超えるようだ。過去の貿易尖兵はもうすべて消えたか、要らない存在になっており、これからの輸出は最先端施設と高級頭脳が担うことになるだろう。人々はもっと利口になったが、過去の時代のリーダーシップ、和合力と克己精神はない。今は自由貿易協定(FTA)のような輸出基盤を得ることより、道路を占拠した農民、スクリーンクォーターにこだわる映画人に、多くの配慮をする時代になったのだ。

金榮奉(キム・ヨンボン)客員論説委員(中央大学教授、経済学)kimyb@cau.ac.kr