1954年11月1日、北アフリカ・アルジェリア東部のある村で新婚の甘い夢に浸かっていたフランス人夫婦が殺害された。バスに乗っていた夫婦を武装集団が引きずり下ろして現場で銃殺したものだった。似たような時間に東部地域を中心に60ヵ所余りで爆発物を利用した攻撃が発生して、約10人が命を落とした。いずれもアルジェリアを植民統治していたフランス人を狙った攻撃だった。同日発生した一連の攻撃は、アルジェリア人の独立運動のスタートを知らせる信号弾だった。
◆1日、アルジェリアでは独立運動開始50周年を記念する行事が行われた。夜空を彩る花火の下で祝砲が打ち上げられ、車両はクラクションを鳴らした。アルジェリア国民としては約120年の植民統治から開放された始発点となった日なので、記念すべき日であるに違いない。しかし、これを眺める外部の視線には祝賀と共に懸念が交差した。アルジェリアの過去の姿と今日のイラクの現実がオーバーラップされるからだ。
◆アルジェ戦争とイラク戦争はいろいろな面で似ている。まず、イスラム武装勢力が組織化された軍隊と対峙している点が同じだ。アルジェリアで独立戦争を率いた民族解放戦線(FLN)は正規戦を避けて、ゲリラ戦と暗殺、爆発物による攻撃で戦力の劣勢を克服する戦略を駆使した。フランスに協力するアルジェリア人に対しては同じ同胞でも無差別な攻撃を加え、この過程で斬首もいとわなかった。戸惑ったフランス軍隊は情報を掘り出すために、アルジェリア人の捕虜を拷問して、ジャンポール・サルトルをはじめ、フランス有識者の強い反発にぶつかった。フランスでは戦争に対する賛否で国民世論が両極端に二分してしまった。
◆戦争は100万人を上回る犠牲を支払って、8年目の1962年に終った。さらに戦争を続けても勝算がないと判断したド・ゴール大統領は、交渉の末、フランスの撤退を宣言した。事実上、降参したものだ。ド・ゴール大統領としては戦争でかさ張る一方の経済的損失をそれ以上放置するわけにはいかない状況だった。アルジェ戦争は貧弱な兵器を持ったイスラム戦士(ムザヘディン)が強い戦力の西側軍隊に立ち向かって勝った最初の例として挙げられる。米国はどうだろうか。フランスの二の舞を踏んでいるのだろうか、でなければまた違う歴史を記録するだろうか。
パリ〓琴東根(クム・ドングン)特派員 gold@donga.com






