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[オピニオン]「顔マダム」

Posted September. 24, 2004 22:04,   

今では目にしなくなった光景だ。一昔前までは、田舍や都市のはずれの茶房(タバン、喫茶店)では、韓服をきれいに着飾ったしとやかで魅力的な中年女性が客を迎えた。「顔マダム」と呼ばれた彼女たちは、店員や「レジ(ウェイトレス)」を取りまとめ、意地悪な客の話相手になって売り上げをあげるなど、茶房にはなくてはならぬ要員だった。この時代の茶房の売り上げは、最近のように味やインテリアではなく、全面的に「顔マダム」の手腕にかかっていた。

◆しかし、「顔マダム」は決して茶房の主人ではなかった。金を出す茶房の主人が実際のオーナーで、超ミニスカートに笑みを浮かべるセクシーな「レジ」が看板スターだったのに比べれば、「顔マダム」は厳密に言って、マーケティングのためにスカウトされ、雇われたに過ぎなかった。決して主人にはなれず、スターでもないのが「顔マダム」の宿命だった。客が減れば真っ先に追い出された。遊興産業が発展し、茶房の「顔マダム」は徐々にルームサロンに進出し、「子マダム」を従えて新しい滑路を模索する。

◆「顔マダム」という用語が特に韓国の政界で流行したのは、公組職より私組職、実線よりも秘線に力があった韓国政治特有の二重性のためだろう。光復(クァンボク、独立)から今まで36代に至る歴代首相のなかで、名実共に「一人之下、万人之上(上には君王に仕え、下には百官と万民を治める)」の地位を享受したのは、数えるほどだ。その代わり、多くの首相が鉄拳統治者の否定的なイメージを希薄にさせる「顔マダム」の役割に止まった。選挙になれば人気の芸能人やアナウンサーたちも、事実上政界の「顔マダム」に近い。選挙が終われば早々と廃棄されるのが彼らの宿命だった。

◆ハンナラ党の朴槿恵(パク・グンヘ)代表が、自分のリーダーシップを非難する党一角の批判に対して「私は顔マダムではない」と釘を刺した。幾多の苦難を克服して党をここまで育てたのに、なぜ揺さぶるのかという不快からの表現だ。「顔マダム」の効用が馴染み客の数にかかっているように、朴代表が果して顔マダムなのか、でなければオーナーなのか、全面的に国民の選択にかかっていると言わねばならないだろう。

呉明哲(オ・ミョンチョル)論説委員oscar@donga.com