1970年代においても昨今のように、夏休みにもかかわらず課外授業に明け暮れするということはなかった。本を読むという子供は、小学校時代に名作童話を読み終えて、中・高校のときの休みを利用して国内外の名作小説や古典を読破したりした。50〜100冊の全集を完読するには、1・2ヵ月の休みは決して長くなかった。何か難しい本を読破したというのが友人間の自慢話であり、女子生徒の早熟な読書が、同年輩の男子生徒を気後れさせる時代だった。
◆私の恩師は、青年時代には休みのたびに田舍の故郷の家に閉じこもり、東・西洋の古典を読み漁ったというエピソードを紹介してくれた。部屋の中に屏風を立て、朝早くから屏風のかげで、一日中本ばかり読んでいたというのだ。70歳を過ぎた先生が依然として多方面にかけて幅広い識見を持って弟子たちを圧倒するのは、この時の読書が源泉になったに違いない。先生が読んだ本と文章の半分にでも至ることができるようにと願ったが、30年が過ぎても先生に遥かに及ばずにいる。
◆東西古今の偉大な王たちは本を愛した。世宗(セジョン)大王は嘱望される若い学者たちにリフレッシュのための読書休暇である賜暇読書を実施し、成三問(ソン・サンムン)、朴彭年(パク・ペンニョン)などを寺院に行かせて書を読ませた。読書に必要な費用は全額国費で支給するようにして、随時食べ物を与えて励ました。英国のヴィクトリア女王も高位の臣下に3年に1度ずつ、ひと月程度の有給読書休暇を与えた。シェイクスピア作品の中で5本を精読した後、感想文を提出する「 シェイクスピア休暇(Shakespeare Vacation)」だ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領も燕巖・朴趾源(ヨンアム・パク・ジウォン)の散文集と国民中心の政策ビジョンと代案を示す翻訳書を持って官邸で夏休み中だというのは幸いだ。
◆一年にわずか3・4冊の話題作を読むことに止まるか、地下鉄で無料新聞をめくるだけでは決して読書の喜びを味わうことはできない。最高の読書シーズンは、いい季節で食べ物の多い秋ではなく、休みと休暇シーズンというのが本屋街の常識になって久しい。一日1冊ずつ本を読むというつもりで、普段、読みたかった本を集めて谷や山寺でこれを読破したら、まさに最高の避暑ではないか。単行本よりは全集、乱読よりは作家別、分野別に集中するのがもっと效果的だ。
呉明哲(オ・ミョンチョル)論説委員 oscar@donga.com






