人生を幸せに生きる方法が最大の関心事に浮上している。国内の「ウェル・ビーイング」や「10億作り」ブームのように幸せに対する追求は世界的な広がりを見せている。このような生き方をめぐって快楽主義だと批判する人々も少なくない。禁欲と節制を重視する伝統的な人生観を反映する見方だ。哲人カントは「私たちが地上へ来たのは幸せになるためではなく、義務を果たすため」と言った。しかし現代人にこの言葉はあまり共感を得ることができない。「もう幸せを怖がらないように」というある掛け声のように、幸せを積極的に追い求める思考の転換がスピーディーに行われている。
◆幸せの醍醐味はお金と必ず比例しないということにある。社会学者のベン・ホーベンは「幸せというのは個人が自分の人生にどれほど満足するかという問題だ。幸せを評価する客観的な物差しはない」と言う。貧しい人も幸せになれるし、お金持ちも不幸になることもあるというのだ。人間が不幸なのは文明と競争のためだと思って田園生活を選ぶ人も増えている。ここにも矛盾はある。お金が人間の幸福を保障してくれないように生活速度の遅さと無競争も幸せを保証してくれないからだ。
◆人間の本能には競争と速度に対する欲求があると言う。スポーツで自分の応援したチームが勝つように願うことは競争本能で、暴走族がスピードを楽しむことは速度に対する本能だ。幸せは多くの本能が満たされてこそ感じることができる感情であるため、遅く暮すことが人によっては退屈かも知れない。幸せとはこのように正解がないため魅力的なものであり、手に入り難いものでもあるかも知れない。
◆ソウル市民の幸せ指数を調べた結果、富裕層が多く住む江南(カンナム)と他の地域との格差は大きくないという。幸せの不規則性をもう一度確認したわけだ。全般的に私たちの社会は幸せだと感じる人々があまりいない。幸せ指数の差がないことに安心するのではなく、幸せ指数を高めることが切実な理由だ。政府が取り組むべき代表的な役目が国民の幸せの増進だ。いかなる理由であれ国民を今のように果てしない渦に追いこむことは大きな過ちだ。幸せが話題となる21世紀には幸せ指数がすなわち、政府の成績表であることを忘れてはなるまい。
洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com






