あえて韓国戦争(1950〜1953)を思い浮かべなくても、6月は韓国近代史に特別な意味を持つ。1987年6月の市民抗争は韓国の民主化を一段階成熟させるきっかけとなった。1994年6月は北朝鮮の核開発をめぐる葛藤が高潮し、米国が北朝鮮爆撃計画まで立てた「危機の季節」と記憶に残っている。02年6月はまたどうか。全国民が「レッド・デビルズ(赤い悪魔)」となって応援したワールドカップの熱気は世界を驚かせ、米軍の装甲車にひかれて死亡した女子中学生死亡事件はその後絶えず続く「ローソク集会」の起爆剤となった。
◆私たちが02年6月を記憶しなければならない理由はまだある。トルコとのW杯3位決定戦が行われた2年前のきょう、突発的に起きた西海交戦がそれである。午前10時25分ごろ、西海延坪島(ヨンピョンド)付近の北方限界線(NLL)南側3マイル海上で起きた南北海軍の艦艇間交戦で、韓国兵士6人が命を落とした。「海は私たちが守るから、国民の皆さんはW杯応援でも一所懸命してください」と言わんばかりの頼れる韓国の青年たちだった。
◆故ユン・ヨンハ少佐(艇長)、ハン・サンクク中士、チョ・チョンヒョン中士、ファン・トヒョン中士、ソ・フウォン中士、朴トンヒョク兵長。6月のコバルトブルーの海に散った花のような青春を、今も記憶している人はどれだけいるだろうか。「6月になると、みんなW杯と女子中学生事件だけ記憶しているようで大変残念です。私と同じ釜の飯を食ったこの国の英雄たちに、顔を上げることができません。艇長、隊員、この至らない副艇長を許してください。」当時の激しい交戦で片足を失った李ヒワン大尉(副艇長)が昨年6月にインターネットに書き込んだメモである。本当に許しを得なければいけないのは李大尉なのか、それとも護国英霊を容易く忘れてしまった無心な人々なのか。
◆「とても会いたい。お兄ちゃん、愛してます!!!」(ID「妹」)、「忘れない。いや、忘れることなんてできない。ありがとう。会いたいよ、ヨンハ」「ID「ヒョ」」と、ハン・サンクク中佐の未亡人が運営するインターネットサイト「西海交戦戦死者追慕本部」には、なくなった兵士を惜しむ書き込みが多く書かれていた。一つ一つが読む人の心を切なくさせる。「護国報勳の月」である6月を本当にこのままやり過ごしていいのだろうか。
宋文弘(ソン・ムンホン)論説委員 songmh@donga.com






