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ショーショーショー 金チュザ、ソンデーソウル、さらに緊急措置

ショーショーショー 金チュザ、ソンデーソウル、さらに緊急措置

Posted June. 18, 2004 22:37,   


李・ソンウク著—300ページ1万8000ウォン 考えの木

42歳という若い年で2002年世を去った70年代のキッド、全防衛文化評論化である李ソンウクが丹念に記録していた70年代の趣がこの本に盛り込まれている。すでに明滅したものへの思い出話だが、その中に「涙もため息も自分ひとりでかみ殺していた」あの時代の私たちの姿が映し出される。いつこのようなすべてのものをきめ細かく記録しておいたのか、感心するほどディテールがすばらしい著者の記憶は、古いLPレコードが聞かせてくれるように心を和ませ、幸せを感じさせる

著者は、70年代の大衆文化のアイコンを映画、大衆歌謡、セクシュアリティー、スポーツ、踊りに分けてから、自分の経験と思い出を風景のように描いている。映画を取り扱っている第1章「西面ロータリー北星(プクソン)映画館で映画を見る」は、朴魯植張東暉ション・コネリー、チャールズ・ブロンスン、ブルスリーが出ていたあの時代流行していた映画を昔のポスターとともにパノラマで紹介する。映画館のトイレの落書きを思い出す場面では、笑いが吹き出る。

「私の心のゆりかごになってしまった金チュザ」(第2章)は、70年代に花咲かせた大衆歌謡の回顧談だ。「はみ出るような尻と腿を包んで、足首あたりで急に広がるラッパズボン。鼻声の混ざった音色に「ㅅ(シオット)」発音を「ㅆ(サンシオット)」と、「ジャ」発音を「ジォァ」とする金チュザの歌は、私が聞いても色っぽくて仕方がない。

金チュザに続く申重鉉(シン・ジュンヒョン)とアーニアンス、大学歌謡際の回顧談が、男性ボーカルグループ「キーボーイズ」を「鍵少年たち」に変えた国語愛運動、歌詞検閲、禁止曲の処分、マリファナ狩物語に続けば、苦々しい思い出に変わる。

第3章は、70年代のスポーツ文化の回顧だ。ゴムボールゲームである「チャンポン」への思い出、一オクターブ高い李・グァンジェアナウンサーの「故国におられる同胞の皆様!こちらはソウル運動場です」のような浮いた声、70年のメキシコW杯の華やかさ、洪秀煥(ホン・スファン)、柳濟斗(ユ・ジェドゥ)、アルーリと代表されるボクシングの熱気、ソ・ヨンム監督とファン・ギュボング投手が作り上げた見事な慶北(キョンブク)高校神話など、高校野球の話が網羅してある。

第4章「サンデーソウルの色気と明るさにおぼれる」は、この本の見所。「女性中央」の中間に密封されていた「性の秘密」ページ、大きく張り詰めたバストをカラーで見せていた「サンデーソウル」の画報とじめじめとした記事、韓国のすべての性問題を一人で全部解決しようとした産婦人科専門医韓国男のラジオ番組など、70年代のセキシュアリティの断想が、「性の噴出時代」といわれるこのころと重なり、笑いを誘っている。

最期の第5章「南浦洞(ナムポドン)テヨンガク、こじき踊りの思い出」は、著者が踊りに夢中になった話だ。「野外電蓄」を買って友人の家を転々としていいたこと、釜山(プサン)市内の「不良高校生」たちが 南浦洞テヨンガクでジョン・トラボルタのディスコを真似していたこと、無料に踊るため「友達に会いにきた」とごまかしては、ディスコクラブに入り、ブルースタイムにトイレを行き来し、あふれ出すような欲望を解消していた経験談などは、遊び文化と大衆文化が重なり合う歴史的名展開過程といえるようなものだ。

本を閉じると思い出すのは、ことあるごとに「軍隊の話」さえ出れば、「あきれるほど繰り返してしゃべる」男の人たちだった。

それはまるで催眠療法のように、自分の人生でもっともドラマチックなあるいは暴圧的な記憶を放出する一種の呪文のようなものだと理解するようになったのは最近だ。

禁忌と抑圧に抑えられ、口にできなかった時代がこのようにある優れた評論家により、華やかに復活し、映画、歌、ドキュメンタリと、絶えず再現されるこのころの世態も、おそらくあの時は話せなかったことを今になってようやく口にすることにより、スピードと成長の狂気を落ち着かせ、内面を浄化する一種の集団心理治療ではないか。

「これから懐かしいことは、懐かしいまま、私の心に納めておく」という歌の歌詞のようにまさに「消滅と握手する日」はいつだろうか。



許文明  angelhuh@donga.com