8ヵ月ぶりに終わった検察の大統領選挙資金捜査は、「本体」に触れることができなかった限界にもかかわらず、「捜査の聖域」を暴いた意味は大きい。過去大統領選挙の毎に天文学的な資金が投入されたが、真相が公開されたり捜査を受けたりしたことは一度もなかった。検察がハンナラ党の不法大統領選挙資金を解明し、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の側近に対して捜査を行ったことは評価に値する。
問題は、捜査の出発からして大統領選挙で勝利した盧大統領の意志によって始まっており、捜査の結果もその限界を脱することができないのではないかという点だ。ハンナラ党資金の10分の1程度を使ったと思った盧大統領は、総選挙を控えて大統領選挙資金の捜査を受けても与党に不利なことはないと判断したはずだ。捜査がなんとかバランスを取ることができたのは巨大野党の特別検事(特検)法の圧迫が働いたおかげだろう。
検察は憲法上盧大統領に対する訴追が不可能なため、政治的バランスを取るために李会昌(イフェチャン)元ハンナラ党総裁を立件しないという措置を取ったものとみられる。それによって「本体」は不起訴処分となり、「手足」は重い処罰を受けるという不均衡が生じた。移籍料を受け取った渡り鳥政治家を略式起訴したことも過度の寛容措置だ。
不法資金を提供した財閥トップらに対しても大部分不起訴処分にした。捜査の目的が不法政治資金の解明であり、厳しい経済現実で企業を萎縮させる恐れがあるという点を考慮してのことだろう。しかし、財閥企業がこれを兔罪符だと思ってはならない。
今回の捜査で、政界と経済界は未来指向的な教訓を見つけなければならない。大統領選挙で勝利するためにあらゆる手段を動員して「ブラックマネー」を受け取る政界と次期政権に保険金を提供して特別な恩恵と保護を受けようとする企業間の癒着を断ち切ることができなければ、国の未来はないからだ。






