花見の季節が終わるように総選挙も終わった。きれいな花もしきりに見れば「花に飽きてしまう」ように、みんなが「私が一番」と叫ぶことにも聞き飽きた。木が四六時中花だけを咲かせていれば、それもどんなに退屈なことだろうか。芽生えて、花を咲かせた後、実を結び、葉を落とすのが木の一生だ。季節が変われば新しい花が咲いて、新しい花が萎んで行くことも自然の摂理だ。人の一生もそうだ。
◆政治家が政界に進出して退場する姿は、花が咲いて落ちる姿に似ている。政治入門を咲き始めるつぼみに比喩すれば、ぱっと咲き零れた花は明るくて意慾的に議員活動に臨む姿、花が散ることは落選と退場を象徴する。咲いているときに美しくない花がどこにあろうか。しかし、負けるときの姿は必ずしもそうではない。後ろ姿の美しい人が本当に美しい人だと言う。自然の摂理に反すれば醜さを増すだけだ。
◆桜はわずかな期間咲き誇り、あっという間に散る。木蓮は派手で優雅な姿態を誇るが、最後は醜い。つつじは派手だが、すぐ落ちることなく徐々に萎んでいく。無窮花(ムグンファ)は慇懃と根気の生命力を持っているが、虫が集る。梅はいつも寒い冬に咲くが、香りを売らず(梅一生寒不売香)、相思花は葉が枯れ散った後に花軸が出て、決して花と葉は出会うことができない(花葉不相逢)。野菊は霜の中でも孤独に志を守って、韓国タンポポは西洋タンポポの花粉には目もくれず「一途のたんぽぽ」という歌を生んだ。
◆今回の総選挙で大物現役議員らが相次いで落選した。早く咲きすぐ散る渡り鳥政治家は桜に、10度目の挑戦に失敗した老政治家は木蓮に似ている。原則に忠実だが、国民と有権者の支持を得ることができなかった満身創痍の政治家は野菊を、意志と美貌を兼ね備えて次世代のリーダーに挙げられたが、党も自分も救うことができなかった女性政治家は梅を連想させる。金大中(キム・デジュン、DJ)前大統領のバックを期待したが、湖南(ホナム)で相次いで落馬した民主党重鎭は相思花を、40余年ぶりに院内進入に成功した進歩勢力は在来種のタンポポに似ていると言おうか。それぞれの花からは抗議を受けるかも知れないが。
呉明哲(オ・ミョンチョル)論説委員 oscar@donga.com






