Go to contents

大会から67年ぶりに取り戻した歴史

Posted March. 10, 2004 22:52,   

世の中から葬り去られるところだった東亜マラソンの貴重な歴史が大会から67年ぶりにやっと日の目を見られるようになった。

タレント兼演劇俳優の李チウ氏(65)は最近、1937年の第7回大会(当時経営短縮マラソン)で優勝した父親、李ジョンロク氏(当時19才、ベジェ高校)の賞状や走る姿を写した写真など記録のすべてを見つけたと、東亜日報に知らせてきた。

7回大会は今年で75回目を迎える東亜マラソンの歴史で「忘れられた」大会。東亜日報が36年のベルリンオリンピックのマラソンで優勝した故孫基禎(ソン・ギジョン)先生の胸の日章旗を削除して報じた「日章旗抹消事件」で、総督府から強制に停刊させられた(1936年8月29日〜1937年5月31日)期間中の37年3月21日に行われたため、大会の記録を残すことができなかった。このため、7回大会はこれまで唯一、優勝記録がなくブランクになっていたが、李氏が父親の記録を見つけ、東亜マラソンの歴史を完成できるようになった。

李ジョンロク氏の優勝記録を見付けるまでには、東亜マラソン事務局の並々ならぬ努力があった。当時の記録を探すため新聞を検索していたところ、復刊した後の38年3月20日付の紙面で「37年大会の優勝者、李ジョンロク氏が38年の大会の開幕式で選手宣誓をした」という内容を発見し、いろいろと調べてみたあげく、李氏の息子である李チウ氏と連絡がつながった。

息子の李氏は韓国戦争の時に北に拉致された父親の遺品を再び探し出し、7回大会の優勝賞状はもちろん、6回大会の2位の賞状とグラウンドで力走する選手時代の父親の写真を見付けるなど、思わぬ成果を上げた。

李氏は「解放後、父はマラソン大会に出る度に長男である私をトラックに乗せて連れていった、いつも父に付きまとって応援していたことが今も記憶に新しい。父は北朝鮮に拉致される直前まで鉄道局(現鉄道庁 )陸上部の監督を務めていた」と、当時を振り返った。

ベジェ高校の在学時からマラソンに夢中になっていた父親のおかげで、李氏の家はいつもマラソン選手で賑わい、大会を控えては合宿所と化していた。

しかし、李氏自身はマラソンと縁を結べなかった。父親の後を継いでベジェ高校に入学し、バスケットボール部に入って一時、バスケットボール選手として活躍したのがすべて。 韓国バスケットボール連盟(KBL)金ヨンギ現総裁が李氏のバスケットボール部2年上の先輩だ。

「最初に色あせた賞状を発見した時、父に会ったような気がして涙が出そうでした。遅ればせではあるが、東亜マラソンの歴代優勝者名簿に父の名前と記録が残るようになり、光栄です。」



金尙浩 hyangsan@donga.com