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[オピニオン]ジョージ・ケナン

Posted February. 19, 2004 23:19,   

1946年2月22日、駐ソ連米大使館から送られてきた電文1枚がワシントンを激しく揺るがした。ソ連に対する封じ込め政策を初めて理論化した同電文(通称「long telegram」)の作成者はジョージ・ケナン。当時、米国務省企画室に所属していた42歳の平凡な外交官だった。第2次世界大戦が終結して以来、米国とソ連の間には葛藤が高まっていた。このような時点で登場したケナンの理論は米国の政策決定集団の趣向にぴったり合ったものだった。封じ込め政策は翌年3月、「トルーマン・ドクトリン」という形で公式化される。

◆ケナンが電文を発展させて外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」(1947年7月号)に発表した「X論文」は冷戦時代、米国の対外戦略の基本指針となった。後日、ヘンリー・キッシンジャー博士が、「大使館の1枚の報告書がワシントンの世界認識形成に重要な役割をしたのは例のないことだ」と評したほどだ。自分の理論がこのように長期間注目を受け、現実世界に影響を及ぼすようになることは、全ての学者と政治家の夢にちがいない。1990年代に脱冷戦時代が到来すると、幾人かの知識人たちも1940年代にケナンの「X論文」が果たした役割を再現してみせるといって乗り出した。サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」、ズビグネフ・ブレジンスキの「ユーラシア経営論」などがその例だ。

◆封じ込め政策はソ連共産主義の膨脹政策を阻止するための実効性ある対応戦略だった。しかし、そこには必然的に批判も伴ってきた。封じ込め政策が最初から、ソ連との対話と交渉を無意味だと前提していたという点、米国の無差別的な介入主義を正当化するのに寄与したという点などだ。なら、軍事的優位を先立たせて、一方主義を信奉するこの頃の米国の「ネオコン(新保守主義)」も一定部分はケナンから影響されたと見なしてもよいのではないか。

◆ケナンが数日前、100歳の誕生日を迎えたという。脱冷戦以後、楽観論が盛んだった時、ケナンは、「米国が群小国の内部事情に政治・軍事的に一々介入するのは望ましくない」と主張した(「フォーリン・アフェアーズ」1995年3・4月号)。しかし、9・11テロ以後、米国の力はアフガニスタンからイラク、北朝鮮など地球の隅から隅にまで及んでいる。このような今日の状況を、果たしてケナンはどのように受け止めているのだろうか。

宋文弘(ソン・ムンホン)論説委員 songmh@donga.com