年が明けると、誰もが歳を取る。子どものころは、早く大人になりたくてトックッ(お雑煮に似た伝統料理、元日に食べると歳を取るとされる)を何杯も平らげたものだが、20代になってからは、歳を取るのが恐くなった。とりわけ、20代最後の日の夜は「私の青春はこうして散ってゆくんだ」という虚しさと名残惜しさで、なかなか眠れなかった。うまく独り立ちできないままに而立(30代)を迎え、恥ずかしいことばかりというのに不惑(40代)が過ぎ、天の命令はおろか世相の人情も知らぬまま知天命(50代)に至ってしまった。この恥ずかしさというのは、隠しようがない。
◆甲申年の新年にちなんで知人から送られた小冊子を読み、ささやかな感動を覚えた。「ざっと100年くらいは生きてみないことには、人生についてとやかく言えないのでは…」というテーマで、1歳から100歳までの年齢にまつわる話を、ウィットに富んだ短い文章にまとめた本である。1歳は「誰もの顔が似ている年齢」、12歳は「カネの威力に気づく年齢」、19歳は「どんな映画でも見られる年齢」である。24歳は「後輩に社会の正義を譲る年齢」、29歳は「どんなに着飾っても若者の集まる場所には入れない年齢」、38歳は「本と遠ざかってしまう年齢」、48歳は「統計学的に一番稼げる年齢」という。
◆50歳は「ドキュメンタリー番組を好む年齢」、56歳は「アパート暮らしが嫌になる年齢」、59歳は「(自分の出身が)聖骨(ソンゴル、新羅時代の王族、王の直系子孫)や真骨(チンゴル、新羅時代の王族、第2子やその外の子孫)でない限り、何もかも厳しいと思える年齢」。62歳は「30、40代の女性が恐ろしく見える年齢」。66歳は「塾に行った孫娘を待つ年齢」、73歳は「傍に誰がいようとオナラができる年齢」。86歳は「何をしようと一目置かれる年齢」、99歳は「時折、神様とも争える年齢」、100歳は「人生の課題を終えて、ただぶらぶらと遊ぶ年齢」である。
◆生物学的な年齢と精神的なそれは、もちろん同じではない。年甲斐もなく大人げない人もいれば、年齢に比べて思慮深い若年寄りもいる。無邪気な年寄りがいる一方で、老獪極まりない若者もいる。年齢など関係ないと思う。幾つであろうと、皆それに見合った役割と意味があるはずだ。今年、私の年齢が自分の人生においてどのような意味を持つのか、期待半分心配半分といったところだ。いかなる場合にも「年甲斐もない」とだけは言われたくないものだ。
呉明哲(オ・ミョンチョル)論説委員 oscar@donga.com






