
「シェイクスピア評伝」
パーク・ホーナン著/金チョンファン訳/644p/2万8000ウォン/ブックポリオ
文豪ウィリアム・シェイクスピア(1564〜1616)。
彼を扱った同評伝は、伝記作家でイギリスのリーズ大英文学部名誉教授の著者がシェイクスピアに関する1次文献を土台に、10年余まりかけて調査研究した賜物だ。著者は、シェイクスピアに関するうわさや伝説を厳格に排除し、アナール派歴史学の「相対的な脈絡」方式を採用して書いている。
チューダー王朝時代の社会状況、劇場と劇団の栄枯盛衰、シェイクスピアの家族や周辺人物に関する緻密な描写が優れている。著者は特に、イングランド中部のストラットフォード・アポン・エイボンでのシェイクスピアの成長期に深く踏み込んでいる。
シェイクスピアは1564年、ロンドンの人口の5分の1を奪い去ったペストが猛威を振るっていた時期に生まれた。父親のジョンは商工人で、母親メリーは知的な女性だった。ひどい熱病がはやっていたときで、メリーは力を尽くして息子の世話をする。
著者は、シェイクスピアに気まぐれな我執がなく、後日「緊張のハチの巣」同然の演劇界で比較的平穏な人生を歩んだこと、そして彼のソネットが感情をうまく操っているのを見ると、人生の初期にシェイクスピアが母親から愛情をたっぷり受けていたのに違いないと分析している。
父親は成金で、身分に関心が多かった。その意味でシェイクスピアの礼儀に対する関心には、注目すべきところがある。礼儀正しかった彼は自分の戯曲の中で、悲劇を迎える王や簒奪者、恋人たちが自分の身分にふさわしくない言葉遣いをしたり、下品な行動をして失敗するふうに描いている。ハムレットは形式と礼儀、均衡と正気が失われた世界にいる。戯曲『尺には尺を』でシェイクスピアは「子供が乳母を殴る。本当にめちゃくちゃだ。礼儀は全部消えてしまった」と書いている。
息子は父の影響を受けるものだ。シェイクスピアも手袋職人だった父親の影響で、作品の中で手袋のイメージが豊かに表現される。戯曲『ウィンザーの陽気な女房達』でスランダーは「手袋をかけて」誓い、ロミオは高いところにいるジュリエットに向かって嘆く。「あー、僕その手にはめる手袋だったらなあ」と。
シェイクスピアは18歳のとき、8歳年上のアン・ハサウェイと結婚し、長女のスザンナが生まれ、さらに2年後、長男のハムレットと次女のジュディスの双子が生まれる。
彼は生計を立てるために、ロンドンの劇団で下積みからスタートしたが、1590年ごろはエリザベス1世女王治下で国運が隆盛していた時代だったため、文化的な需要が多かった。しかし、1592年から2年間、ペストが広がり、劇場が閉鎖され、ロンドンの劇団も大再編を強いられた。新人劇作家のシェイクスピアに活動の機会が回ってきたのだ。
その時から劇作家として大成功し、以後20数年間専属の劇作家兼劇団の共同経営者になり、時々俳優として自ら舞台に立つこともあった。多忙なスケジュールの中で、集中する時間を見つけなければならなかったシェイクスピアはスキのない人物だった。俳優が彼を飲み会に招くと、「具合が悪い」とうそをついてまで放蕩な生活を避けた誠実な生活人でもあった。
ほかにも、シェイクスピアが家を買う過程で経験した家族殺害事件が『ハムレット』の元になり、長女のスザンナが結婚するころ、『ペリクルーズ』第5幕で娘に向けた父親の愛情を語る感動的なシーンを書いたという逸話などが面白い。
原題「Shakespeare:ALife’(Oxford University Press•1998)」。
趙梨榮 lycho@donga.com






