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「シナリオはない…人生がそうであるように」

「シナリオはない…人生がそうであるように」

Posted November. 18, 2003 23:11,   

「下流人生」

昨年、「酔画仙(チファソン)」でカンヌ映画祭監督賞を受賞し、韓国映画界の長年の宿願を叶えてくれた林権沢(イム・グォンテク)監督が現在演出中の作品だ。1961年、「豆満江(トゥマンガン)よ、さようなら」以来、99番目の作品だ。14日午後5時、京幾道富川市(キョンギド・プチョンシ)富川ファンタスティック・スタジオにある「下流人生」のオープンセットで彼に会った。監督賞受賞以来、彼が自分の映画と係わるインタビューをしたのは今回が初めてだ。

○韓国「ロックのゴッドファーザー」シン・ジュンヒョン氏が音楽担当

「『春香伝(チュンヒャンジョン)』、『酔画仙』を撮ってから『下流人生』とは。あちら(フランスのカンヌ映画祭)も驚くはずです。あちらの反応が知りたいですね。」

「下流人生」は1950年代末から1970年代初盤までを背景にしたごろつきの人生を扱った作品だ。本より拳と親しかったテウンが主人公だ。4・19と5・16など現代史には無関心な人物だが、仕方なく荒波に荒らされてしまう。映画「春香伝」、「クラシック」のチョ・スンウがテウン役に、ドラマ「硝子のくつ」の金ミンソンがママのように姉のようにテウンの生の羅針盤の役目をするヘオク役で出演する。韓国ロックの「大父」と呼ばれるシン・ジュンヒョンが30年余りぶりに映画音楽を受け持った点も話題だ。

おもしろいのはテウンのキャラクターや作品の主要設定が林監督、チョン・イルソン撮影監督、製作社の泰興(テフン)映画社の李テフン社長など、「巨匠トリオ」のそれと何となく似ているという点だ。劇中劇で「下流人生」という映画が製作され、テウンはごろつき生活に続き軍納入業者、映画製作にも飛び込む。

「時代に荒されて純粋な人性に垢がついても、それを分からずに壊れて行く生を盛り込みたかったです。我々3人、皆その時代を『生き抜いたんです』。偉いフィクションをするよりは、私たちと周辺の多くの人が一緒に生きて来た時代を形象化しようと思ったのです。」(林権沢監督)

○「将軍の息子」の亜流作といううわさは誤解

映画に関する情報を少なく公開したため生じた誤解だ。アクション分量が30%ぐらいになるが、彼の視線は他の方を向けている。

「国の権力を力で奪うことも三流、下流じゃないですか。主人公だけでなく、当時の人々は皆が皆、三流で生きたのではないかと思います。アクションよりはその荒れた時代のスケープゴートになるしかなかった人々に関する映画です。」

○100という数字が自分を狂わせる

ついでに100番目の映画に対して聞いた。

彼は「100番目という数字には関心がない」と言い切った。彼は「雑草」(1973年)を真の意味での「デビュー作」にあげる。51番目の作品であると同時に、初めて製作を兼ねた映画だった。

「結婚前まで深く考えずに生きていたんです。生まれて生きているだけでも幸いではないかと思ったのです。意味のない生き方をしてたんですね。お金があれば酒を飲み、なければ飲まず。良い映画を撮って残そうという考えもなかったし、生活の方便としてただ撮っていただけです。その前の50本は本当にそうでした。だからむしろ100という数字が私を狂わせるのです。」

陶工の話なのか?彼は「酔画仙」以前から陶工の話を描きたかったと言った。

「取材もして釜の横で夜も明かしたんです。でも、まだ自信がないです。100番目になるかも知れないが、負担のない時に、必ず作ってみたいです。」

○最後まで満足できずに逝ってしまうのであろう

「カンヌ映画祭で監督賞を受けたのだから、何かを成し遂げたのではないかと言われました。しかし、私が成し遂げたと思った瞬間はありません。ただ、カンヌ映画祭は私にとってだけでなく、韓国映画界の重荷でしたから、身軽になった感じでした。」

「下流人生」にはシナリオが別にない。俳優たちは毎日午前、その日演技する内容が込められた資料をもらう。最後まで最上の絵を描こうという彼の欲心のためだ。

「大きな枠はあります。しかし、ディテールな内容まで記したシナリオがあれば、俳優や監督がそこに閉じこめられます。確かにもっと良くて、もっと濃密した表現があります。だから、毎日毎日狂うのです。」

「巨匠トリオ」が1983年、「比丘尼」で初顔合わせしてから20年になったと言ったら、彼は「ぞっとします。年令と数字を口にしないのが本当に贈り物です」と言った。

午後8時、闇が立ち込めた「下流人生」のセット場。林監督の「レディーゴー!」、キューサインを送った。



金甲植 dunanworld@donga.com