出家と家出は漢字の前後の字が替わっただけに過ぎないが、その意味はまったく違う。僧になるために家を出るのは出家だが、不良少年や浮気をした女性が家を出るのは家出だ。前者はより高い理想のために自分を捨てることであり、後者は逃避と快楽のために身を投げ出すことである。仏教では「出塵」という表現も使われる。世俗の埃を脱ぎ捨てるという意味だ。韓国仏教では妻と子供を捨てて出家した場合は高く評価されるが、出家した後世俗に戻って再び出家するのはバツとしている。家族の一人が出家したことで、一家親戚40人余りが僧になることもあった。
◆「無所有」の法頂和尚がいつか、「修道僧になるために入山し出家した人も、どの季節に出家したかによって違う」と話したことを注意深く聞いた。心が浮つく春に出家した人は根を下ろすことができず還俗する場合が多いが、気分が落ち着く秋や冬に出家した人はよほどのことでないと世俗に戻らないということだった。庵に、「両親、兄弟、親戚を残して、なんのために出家し修道僧になったか、随時その意味を探らなければならない」という守則を書いておいた法頂和尚は出家して以来、母親が亡くなった時も家に戻らないほど自分に厳しかった。
◆国会議員、KBS社長、大学総長を歴任した朴鉉兌(パク・ヒョンテ)氏が満70歳に出家して、昨日全南順天市(チョンナム・スンチョンシ)のソンアムサで正式に戒を受けた。所帯が許される太古宗の僧として「志淵」の戒名を受けて、「この歳で世俗の名利を捨て苦行をするとかいう、そんな恐れ入った目標や計画を持って出家したわけではないが、全ての束縛から逃れて自由にやりたいことをしながら、『第2の人生』を送りたい」と出家の弁を述べたという。どうあれ、大きな決心といわざるを得ない。前世に確かに何らかの縁があったはずだ。
◆真の出家とは何か。西山大師は「禪家龜鑑」に次の法文を残した。「出家して修道者になることがどうして些細なことであろうか。楽で閑だからではなくて、暖かくして腹いっぱい食べようとするわけでもなく、名誉や財産を追ってでもない。ただ生死の苦痛から逃れようと、煩悩の束縛を絶とうとするものであり、仏陀の知恵を受け継いで行こうとすることで、絶えず衆生を救おうとするがためだ」。釈迦の出家以来、だれも修道者を募集すると広告を出したわけでもないのに、今日でも多くの人がより究極的な価値を追求しようと念じ、家を出る。
吳明哲(オ・ミョンチョル)論説委員 oscar@donga.com






