
フリーダ・カルロ/ヘイドン・ヘレラ著/金ジョンア訳/55ページ、1万5000ウォン、ミンウム社
心変わりした愛人の気を引くために、必死になって美しい自画像を描く。その絵を見て再び魅了され戻ることを祈りながら…。フリーダ・カルロは、このように切実な思いで絵を描いた。柔らかい動物の毛皮でできた筆を使って病室の中で絵を書いている女。その女の人は、このように200点余りの絵を描いては、50才を前にして亡くなった。その絵のほとんどは、自画像である。
物質世界を支配するのは重力だ。地球の中心に向かって引き寄せる力である。その力によって、地球の表面に貝殻のごとくくっ付いている高層ビルが立っていられるのだ。人間を支配する力は自己愛だ。自分自身を愛する本能的な力なのである。生涯を奉仕活動に尽くす人ですら、それは自己愛を別の形で表現したのにすぎない。その自己愛を、ビジュアルで赤裸々にあらわした代表的な人物が、フリーダ・カルロである。
奇妙だと思いながらも、人々は彼女の絵から解き放たれた開放感を味わう。いつか、密かに抱いたことのある残酷な思いが、この女人の絵を通して再び確認されるとともに、同時にそこから解放されるのだ。無意識を支配していた、隠れて、抑圧された悲しみが、彼女の絵を通して空高く舞い上がりながら解き放たれるのだ。世の中どこも同じだ。時が経っても、浮気ものの配偶者のために悩む心境は同じなのである。心変わりした愛人のため、いても立ってもいられない気持ちは、メキシコであれ韓国であれ同じなのだ。およそ100年前に生れたこの女の人が、これほど現代の私たちと感覚的に一致するというのは、驚きとしか言いようがない。それは、フリーダ・カルロが自分自身に対し、偽ることなく素直だったというのが、その主たる原因であるに違いない。素直であれば通ずるものだ。
どの文化圏であれ、どの階層であれ、素直であることが一番だ。飾らずに率直に、自分自身を真っ直ぐに見つめながら、絵を描くことで表現したこと。これが、時を超え空間を乗り越えて、私たちを、生きたフリーダ・カルロに導く力なのだ。共感を覚える力なのである。
幼くして小児麻痺を患い、そのため足が不自由な、成人してからは交通事故で35回も手術を受けながら苦痛の中を生きた女人。それでも、死ぬ日まで荘厳で華やかで剛直な姿勢を貫いた女人。女王のごとく呱々な姿を失わず、憚ることなく下品な言葉を堂々と口にしていた女人。いつも幸せで華麗で愉快な表情を持ち続けながら、強靭な風貌を見せてくれた女人。どこにいようと、神話的な幻を創り出していた女人。このような彼女の姿から、私たちは自分自身を見出す。私たちの理想を見出すのである。
幻であり、幻だけではない激しい痛み、誰もが認めざるをえない苦しみ、公認された苦痛を生涯にかけて味わいながらも…、それでも挫けない執拗な自己愛。諦めることのない強かな成就欲…。悲しいときには悲しい色で厳かに、苦しいときには苦しみそのもので、華やかに幻を創り上げていった女人。現実を口実に、卑屈になりかけた人間たちに向かって毒針を刺した女人。私たちをして厳かにさせられないものは何だろう。呪いのような不幸の中でも、自分の道を華やかに生きたこの女人を見よ。
金ジョムソン(画家)






